風が物語のページをめくる

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うまくいけばずっと先に、何年間か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない。
村上春樹著 「風の歌を聴け」より

“風が物語のページをめくる” への4件の返信

  1. いつもカメラが一緒ですね。
    何十年か先には、カメラマンに転身したスプーンさんがいたりして・・・
    それも、素敵ですね。

  2. 春樹さんの作品を読むと、箱庭療法という心理療法が頭に浮かびます。物語を書くことによって彼は自分の心の深層部に下りて行き、問題を見つけ、傷を癒し、修復し、補強していくように感じられるのです。彼の作品はおおむね、そんな構造になってるように思えます。ぼくはそれと同じことを写真を撮ることで行ってます。つまり、ぼくにとって写真を撮る行為は自分の救済なんです。今回取り上げた「風の歌を聴け」の言葉は次のように続きます。
    うまくいけばずっと先に、何年間か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

  3. 薄らぼんやりですが、分かる気がします。
    わたしの場合は、写真を撮り文章を書きながら、心の深層部に下りてゆく気がします。
    そこには、反省や慈しみや人としてのあるべき姿があったりします。
    でもわたしは、いつも行きつ戻りつしていて、この先救済された自分に出会うことはないように感じています。
    写真を撮ることで救済されるというスプーンさん、救済されたと感じる瞬間って、どんな感じですか?

  4. ぼくの中には、いろんな質問がいっぱいつまっていて、その答えは、言葉のようで言葉じゃなくて、目に見えるようで見えないものです。でも、その答えは確かに、いつか与えられるという確信がぼくにはあって、そこまでのステップと写真を撮ることは、何か関連があるようなのです。そこには、時間、という、謎めいたキーワードがあるように感じます。ぼくにとって写真は、目に見えないなにかを捕らえた証みたいなものです。ぼくの時間を確認しているような。答えになっていない気がするけど、いつかまた、ここで何か書くと思います。

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