暗い夜

110711_015
年寄りの口癖 「むかしはよかった」
ぼくもそう思うようになった。
そのむかし、昼は明るく、夜は暗かった。
タバコ屋は6時に閉まっていた。
さて、ぼくはいくつでしょう。
注 こたえる必要はありません

“暗い夜” への7件の返信

  1. お風呂は五右衛門風呂だった。井戸は誘い水を入れる手動ポンプだった。金曜日の夜は近所の分限者の家にプロレスを見に行く暗い道を父親に必死でついて行った。夏は蚊帳を張って寝ていた。「ぶえん(無塩=生魚)な(は)いいやはんどかい(いりませんか)」という魚売りのおばさんの声をリアルに聞いたことがある。
    いくつあてはまりましたか……(*^.^*)

  2. 時々停電があり、家には石油のランプがあった。笠置シズ子の「東京ブギウギ」を歌える。東海林太郎の「赤木の子守唄」を聴いた事がある。朝と夕方、豆腐屋さんがラッパ吹きながら自転車で町内を回っていた。甲突き川でホタルを見た事がある。ビニール製のだっこちゃんを持っていた。郡元の動物園に行った事がある。
    ・・・ずいぶん年代が広がりましたネ
    スプーンさんは当年とって58歳、当年取らなければ59歳くらいですか???

  3. ☆名前が書いてないけど、たぶんチャーリーさん(笑)
    記憶はおぼろですが、家に五右衛門風呂があって、入ったおぼえがあります。サーフィン気分で丸い板に乗っかって入るんですよね。あれはスリルがあってよかった。できることなら、また入ってみたいです。手動ポンプは田舎に行けばありました。ぼくが科学に興味を持ったのはあのポンプのおかげかも。プロレスといえば力道山ですね。黒タイツに水平チョップ。三菱電機の提供じゃなかったかしら。蚊帳もチョーなつかしい。窓も扉も開けっ放しで寝てましたね。今は鍵をしないと不安で寝れませんけど。「ぶえんないいやはんどかい」、は残念ながら聞いたことがないです。ロバのパン屋は見たことありますけど。いや~、昔はよかったなぁ。かなり不便だったけど。
    ☆なすがままさん、残念ながら時代が10年以上違っているようです。でも、かろうじて一つだけ一致しました。郡元の動物園には行った事がありました。たいへんさびしい動物園だったのを憶えてます。廃園前だったのかもしれません。甲突川にホタルが生息していたとは、ちょっと驚きです。ひょっとしてなすがままさんは戦中派でしたっけ。

  4. 過去がしきりに思い出されるときは、不幸であることが多い。私の言葉ではありません。最近こんな本を買いました。「みっともない老い方」PHP新書 川北 義則著
    手押しポンプがやたら目につくようになりました。決して過去のことを思い出して昔は良かったといっているのではありません。いざというときのためです。
    twitteriに昨日撮影した手押しポンプ貼りました。昔のシネレンズで撮影したものを。昔のレンズは味がありますねー。

  5. 有るときはそう感じないんですけど、なくなるとそれがとても良いものだったような気がしてきますよね~。たとえば、満天の星空、とか。都会では、便利、安全と引き換えに満天の星空は遠くに行ってしまいました。そういえば、レンズもそうですね。安全と引き換えに、鉛を含んだレンズが使えなくなり、味のあるレンズが減ってしまったようです。手押しポンプ、写真、見てきました。ぼくも一つ欲しいです。twitterの写真、いつも見ていますよ。

  6. すみません、どういうわけか名前が入っていませんでしたが、お察しのとおり、私でした。
    石油のランプはありませんでしたが、石油コンロはありました。「東京ブギウギ」はリズムは取れます。東海林太郎が直立不動で歌っていたのは知っています。豆腐屋さんのラッパが聞こえると、鍋を持って買いに行かされました。甲突川はよく覚えていないないけれど、記憶の中の川内川はヘドロの川でした。ビニール製のだっこちゃんは親戚のお姉さん達はみんな持ってましたね。郡元の動物園に行った事があります。頭の上を、旅客機が低く飛んでいました。

  7. チャーリーさん、すごい記憶力ですね、たぶんぼくも同じものを見聞きしたんでしょうが、すっかり忘れてしまってます。こんなことならブログに書いておけばよかったなぁ。というわけで、このブログも、ん10年後に見たら、何もかもが古くなって黄ばんでいるんでしょうね。あまり考えたくありませんけど。

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