無意識過剰

ぼくの周囲には、いわゆる天然な人が多いように思う。
ぼくがそれを好むから自然とそうなるのかもしれない。
自分にないものを求めているのだろうか。
人をひきつける力。
カラマーゾフの兄弟に出てくるアリョーシャ、リザヴェータ。
そして頭のいい、ロジカルなイワン。
ドストエフスキーが言いたかったことは何だろうね。

“無意識過剰” への8件の返信

  1. こんにちは。
    暦の上では大寒の今日、東京の最高気温は17度(^-^)束の間の暖゛にホットしています。(笑)
    無意識の自我を無意識に纏っている人々って何故か魅力です。
    無意識的に新しい超自我が構築されているのでしょうか…('-^*)
    ☆こちらの記事と無関係で恐縮ですが、昨年、蓋棺録的に日高敏隆氏のことを記していらっしゃいました?できたら再読させていただきたいのですが。スミマセン。

  2. ここ南国鹿児島は、春のように暖かかったです。そのせいか、天邪鬼なぼくは風邪をひきそうになり、昼過ぎまで喉や目の奥がズキズキしてました。今はだいぶ良くなりましたけど。
    日高敏隆さんの記事ですね。昨年も書いてますが、いくつかあるような気もします。ぼくは自分で書いた記事を探す時、サイト内検索を使ってます。このブログの左側のサイドバーの一番下に、ブログ内検索のボタンがありますので、使ってみてください。ボタンを押して現れた検索ページの窓に、「日高敏隆」と入れて検索すると、記事が出てきますよ。

  3. 有難うございます。サイト内検索で拝読。
    最近、まったく角度の違う雑誌数誌で日高氏のご研究の話が掲載されてたものですから「スプーンさんのところで通過したことを悔いてたものですから。
     湖に沈んだ電波塔?の記事も気がかりだったのですが検索では見つからず残念でした。また機会がありましたらご紹介下さい。Thanks [E:sun]

  4. 日高氏のその記事、ちょっと気になります。ぼくは彼のいう、現実と虚構は同じ、みたいな考えにとても興味がありました。たぶん、ぼくもそう思っているからだろうと思います。
    湖に沈んだ電波塔って、もしかして曽木発電所のことかな。

  5. >「現実と虚構は同じ」難しい領域ですね。
    私の頭の中に日高敏隆氏がインプットされたのは多分スプーンさんのブログででしょう。
    脳のほんの片隅に記憶されていると、他所で何気なく繰っている文章が氏だと、ごく自然に視界に入るのです。
    書名は??ですが、本は病院の待合室でラックから選んだ、その病院の医師の出身大学が出版している季刊誌で、流し読みでしたから確かではありませんが、猫が登場、科学的見解の展開など無関係かのような動物の行動学(しかも子ども対象の本のような描写で)のお話だったと思います。
    次に遭遇したのは雑誌で、氏の研究を共著された<動物行動学研究家>の竹内久美子氏の「カヤネズミの母子間によるコミュニケーション(超音波学による)がテーマのご研究についてだったと思います。
    (いずれも病院の待ち時間に手にした次第で・・・不明確でごめんなさい。
    そういえば」~家で読めた本も有り、執筆されていたのは「風の旅人 vol. 20 でした。
    スプーンさんは勿論お読みになったでしょうからはしょりますが、子どもたちにアリの絵を描かすことから入って行かれた、「人は現物が見えるか」~「何が現実か」へのエッセイでした。 「僕はそこに人間のイリュージョンというもののもつものすごさを見たような気がした。」(子どもたちが描いたアリがほとんどが同じという現象への見解)  「どの子だって実物はちゃんと、十分に見ているはずだ。 けれど、その実物が、自分が思っているように見えてしまうのだ。つまり、自分のイリュージョンによって作り上げたものに見えてしまうのだ。そしてそれ以外は存在しなくなっているのだ」 (略) 
    結びに、イリュージョンが修正されるプロセスの大変さ、人間が物を見たらおいそれとなびいてしまうわけではなく、重要なのは自分の持っているイリュージョン。と説き、 「あるいは見た途端に作り上げてしまったイリュージョン。そのイリュージョンによって人は現物を見るのだ。」 「 けれど、そうでなかったらば、人は果たして現物が(正しく)わかるのであろうか?  こう考えたとき、人間においてイリュージョンというものの持つ意味とその力が、ぼくには少し理解できるような気がするのである 」と語っていらっしゃいました。(風の旅人2006年6月より引用) ふうぅ~~(笑) あと、書店で立ち読みした臨床心理士の専門書にも寄稿されていました。コミュニケーション能力に関してだったと思います。 
    深淵の域への研鑽を積まれた学者さん、セミナーの学生たちには友達のように接しておられた人気先生だったそうですね。
    >湖に沈んだ電波塔って、もしかして曽木発電所のことかな。
    そうですそうです!!(恥ぃ(笑))
    サイト検索で読ませていただきます。砂州”と共に忘れられない写真のはずなのにしっかり忘れています♪[E:bread][E:cake][E:apple]

  6. そうそう、日高敏隆さんの書く動物の行動に関する記事はだれが読んでも興味深いですよね。そして読んでいくうちに、不可解な謎にぶち当たる。その不可解さが、人が勝手に作り上げた幻想に起因していることに人は気づかない。つまり、この手の謎は必然なんですよね。日高敏隆さんのイリュージョンの話は、精神科医の斎藤環さんが述べている、「虚構」は「現実」である、という話と同じものだと思います。(こちらで読めます)
    http://voiceplus-php.jp/web_serialization/kyokou/001/index.html
    そしてこの問題は、茂木健一郎さんの「クオリア」に対して疑問を投げかけている次の記事、
    脳は心を記述できるのか
    第1信  「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)
    http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2007/06/1_108a.html
    の中の、
    認識の主体である「この私」の肯定、すなわち実体化が前提となるのではないでしょうか。
    という問題がその中心にあって、これに正面から答えられる人はいないはず。その理由は、以前ブログに書きましたが、「みずからが生まれてきた暗闇を知らない思考は無価値である」からです。
    http://coffee.synapse-blog.jp/life/2009/01/post-214d.html
    いつも面倒なことばかり書いてしまってすみません(笑)

  7. ご紹介のサイト、後で読ませていただきます。有難うございます。
    最近は不必要な枠が随分外されて、自縄自縛から解き放たれてきましたが、私の場合は「空は空。すべては空」の世界が好きかなぁ(笑)

  8. 長いあいだ考え続けた挙句、ああ、そうか、「分からない」、それが答えなんだ、みたいなことに気づきました(笑) おっしゃるように、空の空。すべては空、そんなかんじですね。

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