あなたは笑ったことがあるだろうか。白状するが、ぼくは笑ったことがない。子どもの頃、笑う練習がぼくの日課だった。それは苦しい毎日だったが、おかげで笑うフリに於ては誰よりもうまくなった。笑うことができなければ、この渇ききった砂漠のような都会で生き抜くことは難しい。この件に関しては、いずれ機会を改めて詳しく語ってみたいと思う。
話を戻そう。たとえば対人関係の場合、肝要なのは、まずどこで笑うか、である。目の前の相手が笑うべき言動をとった際、それがどの程度の笑いに相当するか速やかに判断し、いくつかのバリエーションの中から適切な笑いを選んで効果的に実行しなければならない。よくあることだが、相手が白けたジョークを放った場合などには、いわば思いやりから笑ってあげる必要が生ずる。しかし、いずれにせよその判断は人生哲学に裏打ちされた優れた人間観察能力がないと行えない。つまり、笑いのセンスがこれである。
笑いにもいろいろあるが、第一回目の今日はジョークについて考えてみることにしよう。テキストとして、角川文庫ポケット・ジョーク第一巻から次のものを選んでみた。
夫 「ぼくはいままで一度も浮気なんかしたことがない。きみも同じことが言えるかい?」
妻 「ええ。でもそんな真面目くさった顔ではむりだわ」
どうだろう。笑うことができただろうか。もしあなたが一角の成人でありながら笑えなかったとしたら、すでに問題があるといえる。対策を考えたほうが良いだろう。
以下、次号につづきません。
“(笑)” への4件の返信
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ふむふむ[E:think]
お主のように理論的に整合性を取りながら笑うと時差が生まれドンビキされますぞ[E:sweat01]
聞いたジョークを日本語で考えて英訳しなおして笑うようなもんだ。でも記載のジョークは笑えない、「なんちよーッ!」ってなってしまんじゃ..(笑)
では、こんなのはいかが?
次の日曜日は息子の結婚式だ。居酒屋で父親と飲んでいた息子が、父親に聞いた。
「ぼくが大きな一歩を踏み出す前に、最後の忠告はありませんか?」
「そうだな、二つばかり覚えておきなさい。最初の忠告は、少なくとも週に一度は男同士で夜を過ごすことを彼女に認めさせること。二番目の忠告は、その夜を決して男同士なんかで無駄に過ごさないことだ。」
以上
フフフ、少し笑えました。
では、こんなのはイカガでしょう。
大学生の息子を持つ父親のところへ、寮の舎監から電話があった。いい知らせと、悪い知らせがあるという。
「悪い知らせのほうをさきに教えてもらえますか」と父親は言った。
「実は、息子さんは救いがたい同性愛者です」
「なんてことだ!」父親はひどく狼狽して言った。
「それで、いい知らせのほうは?」
「息子さんはこの度、ミス学園に選ばれました」
私の3~4歳の頃の写真は、ほとんど『ぶ~たれ』顔で写っております。
カメラ構えられて、しきりに「笑って」と要求される事に戸惑い憤慨していた第一次反抗期の思い出です。
ああ、それ、よくわかります。ぼくは何度か愛太さんにお会いしているわけですが、そういえば愛太さんの笑いは、どこかクールというか、冷静な感じがします。
その反抗期の反動、なのかもしれないですね(笑)