人は賞賛を欲する動物である

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わが家の玄関の照明は、人が入ってくると自動的に点灯する。赤外線センサーが人を感知してスイッチを入れてくれるからだが、このセンサーが壊れた。家を建てて10年以上経つ。電気製品は、だいたい10年で壊れることになっている。
家人が、「直せる?」と聞くので、「どうかな」と言って、ぼくは器具を取り外し、分解し始めた。複雑な機械を分解するときは、その様子をビデオカメラで録画しながら作業を進めるのだが、単純そうな機械なので、深く考えず、ネジを片っ端から外していって基盤を露出させた。予想したとおり、リレーに問題があった。久しぶりに半田ごてを手にし、修理した。器具を元通り結線し、天井に取り付ける。スイッチオン。やったー、無事点灯。ぼくはとてもうれしかった。しかし。
直ったことに、だれも感動しない。
「すごーーーーい!」とか、
「ステキ!あなたって、何でもできるのね」とか、
「修理代が浮いたから、今夜はご馳走よ」とか・・・
理由はわかる。ぼくは、機械が壊れると、ほとんど自分で直してしまう。直せてあたりまえ、なのだ。
あたりまえに感動は無いのである。

“人は賞賛を欲する動物である” への4件の返信

  1. 誉めてもらえないときは催促しちゃいます。絶対誉めなくちゃ???。我が家ではふたりとも機械音痴なので自分で電気製品直せる人は尊敬されますよ??。

  2. おーっ、そーかー、みねらるっこさんは催促しちゃうんですね。
    「ほら、みてみて、スゴイでしょ~」って感じかな?
    うーん、それって、カワイイなぁ。
    でも、ぼくの人生哲学というか「痩せ我慢の美学」では、それはできそうにないのです(悲)
    ぼくの場合、なんちゅうか、
    「ふっ、男は黙ってサッポロビールだぜ」 みたいな。
    (ねーねー、これって、シブイでしょ? ほめて~)

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