ネット上に村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチが訳されてますね。いくつか読んだのだけど、ぼくにはこちらの訳が読みやすかったです。 「いつでも卵の側に」という話なんですが、ぼくは肝心の「卵の話」のコアにはあまり興味が持てなかった。もちろんこれはぼく自身の問題。以前、彼の本で読んだ「モラルの話し」に似ているな、という感じでスルー。「卵の話」に導入するための次の部分が、ぼく的にタイムリーで気に入りました。
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創意のあるホラ話を語ることで、なんていうかな、作り話を真実であるように見せることで、小説家は新しい場所に真実を生み出し、新しい光をあてることができます。たいていは、現実のままのかたちで真実を掴むことや正確に描写することは不可能です。だから私たち小説家は、真実というものの尻尾を捕まえようとして、そいつを隠れた場所からおびき出し、虚構の場所に移し替え、虚構という形に作り直そうとするのです。しかし、これをうまくやり遂げるには、最初に自分たちの内面のどこに真実があるのかをはっきりさせておく必要があります。いいホラ話を作るのに重要な才能というのは、これです。
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つまり、うそのカタチを借りて真実に到達しよう、とするのが文学、みたいなことを言っているんだと思うのですが、ぼくには、人生をドライブするには、霧が出ようが、道がなくなろうが、天地がひっくり返ろうが、見えない目標に向かってハンドルを握り続けることだ、というように聞こえました。某動物学者がいうように、真の客観などなく、すべては幻想だ、と思い至り、考えること自体が無意味に思えてくる、そんなときに、いいホラ話は、ぼくにもう一度ハンドルを握るチカラを与えてくれるように思えたのです。
“私というホラ話” への3件の返信
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ん~、今日は なかなか まともだなあ~☆☆☆
無事、ブツが 例の場所に届きました!とさ。
ありがとうございました。後日、現ナマもって、
伺いますぜ・・・[E:dollar]
>ぼくにもう一度ハンドルを握るチカラを与えてくれるように思えたのです。
正に、私も現在ハンドルを握ろうとしています。[E:sign02][E:dash]目的地は彼岸の彼方にありますが、多いにホラを吹いて楽しく駆け抜けたいと思っています(笑)
☆バリ神山+ティ、あら!さん
ふっ、今日もまともなボクですがね、ええ。
例のブツ、無事届きましたか。ありがとうございます。
と、言うことで、た~んと、現ナマ、持ってきてちょ。
まっちょるからね~
☆chikako~♪さん、春樹氏によれば、いいホラ話を作るにはチョイと才能がいるようですよ。ぼくも真実をつかむために、いいホラ話に接して、遅ればせながら、なけなしの才能を伸ばしたいと考えてます(笑) ぼくはスピーチのこの部分を読んで、カフカの変身を思い浮かべ、真実の普遍性について考えました。彼の言うところのホラ話を見事にあらわしているのが変身じゃないかと思って。そんなわけで、ぼくも虫になったつもりでもう一度変身を読み、ハンドルを握りなおしたいと思います[E:dash]