先生とは、わけのわからないおじさん

081026_01
午前中ヒマだったので、先日お客さんが貸してくれた本を読んだ。本を開くと、初めにこんなことが書いてある。
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みなさん、こんにちは。
「先生はえらい」というタイトルの本を書くことになりました内田樹です。この本は中学生や高校生を対象にした新書シリーズの一冊です。このシリーズの一冊を担当することが決まったとき、編集者の方に、「どんなことをいま、いちばん中学生や高校生に伝えたいですか?」と訊ねられました。コーヒーをスプーンでくるくるかき回しながらしばらく考えて、こう答えました。
「『先生はえらい』、かな」
今の若い人たちを見ていて、いちばん気の毒なのは「えらい先生」に出会っていないということだと私には思えたからです。
———- ここまで ———-
「だよなー、ぼくもエライ先生に出会っていたなら、今頃こんなことはしてなかっただろうし」
思わずぼくはタメ息をついた。で、その、えらい先生って、どんな先生なんだろう。
興味津津、ぼくは読み進んでいった。その逆説的な展開にびっくりしながら読んでいくと、残りのページも少なくなってきたあたりで、こんな文に出会う。
私たちが敬意を抱くのは、「生徒に有用な知見を伝えてくれる先生」でも「生徒の人権を尊重する先生」でも「政治的に正しい意見を言う先生」でもありません。
私たちが敬意を抱くのは「謎の先生です」
な、謎の先生? えー?なんで~。
それは、この本を読めばわかることになっていますが、本の初めのほうに書いてある次の文句がそれを示唆しています。
「私たちが学ぶのは、万人向けの有用な知識や技術を習得するためではありません。自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するために私たちは学ぶのです」
ぼくはこれを読んで、オスカーワイルドの「人生は芸術を模倣する」「自然は芸術を模倣する」という文句を思い出しました。自然は芸術を模倣する。一見、逆のようですが、これでいいんだと思います。芸術は自分の中にあるのですから。
それにしても、これが中、高校生向けの本だなんて。
おらータマゲタだ。

“先生とは、わけのわからないおじさん” への4件の返信

  1. こんにちは。
    「人生は総合力だ」という言葉を聞いた事がありますが、今の時代「勉強」は教えられても「生きた生活力」を教えてくれる先生が少なくなったのかもしれませんね。
    それだけ、昔の先生は「たくましかった」のかもしれませんね(笑)。。。9時から男が年なだけか[E:coldsweats01]。
    それでは・・・。

  2. なるほど、生きた生活力を教えてくれる先生ですか。そういう先生が学校にいるのかどうかわからないのですが、ぼくは、うちのネコに教わってるかも。ニャンコ先生。とにかく、腹が立つほどタフなヤローでして。先生は学校に限らず、いろんなところにいるようですよ。

  3. こんにちは
    「自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認する」ということはとても大事なことだと思いますが、かけがえの無い存在を大事にするあまり、生徒に対して、子供の人権だ….生徒の権利だ…と権利ばかり主張する○○組の先生の指導のようにならなければ、と感ずる今日この頃です。
    「人生は芸術を模倣する」と言う言葉は、実に言い得て妙ですね。
    私の高校時代の美術の先生が「赤い絵の具を見せて、皆さんこれは赤い色であることは判りますね!これは、皆さんが赤だと認識しているだけで、皆さんの網膜には緑色に写っているかもしれません、その色を赤だと教えられたから、赤だと認識しているのです。だから色の好みも違うし、芸術的なセンスも個人夫々なのです。」…..と….いわゆる洗脳とはこのようにして行われる…..と
    ハッハッハ…….ジョウダンですよ

  4. 洗脳って、気持ち良さそうですね~♪ ぼくも一度、頭から脳ミソを取り出して、洗剤でゴシゴシ洗ってあげたいです。ところで、洗脳を受けやすい人って、どんな人でしょう。案外、高等教育を受けた人に多いような気がするんですけど。受けた人は受けやすい、なんちゃって。きっと、学ぶことと教育を受けることは違うんでしょうね。というわけで、学ぶのが好きな?ナスがママさんとぼくは洗脳される心配はなさそう、かも。

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