この世界を疑ってみる?

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「生命ってなんですか?」
ぼくは担任の先生に聞いてみた。中学1年の時の話だ。
その時の担任は理科の先生だったが、大変困った様子で、何か言いかけて口ごもり、こう答えた。
「図書館に行って、自分で調べなさい」
今思えば、そう答えるしかなかったのかもしれない。よくあることだが、簡単に見えるものほど複雑で、奥が深い。世界は不思議だ。ぼくにはさっぱり分からない。たとえば、イモムシが蝶になって飛んでいく。そんな当たり前のことが、ぼくには絶対に納得できない。でも、目の前でそれは現実に起こる。ぼくは気が狂いそうになる。そんなことでいちいち騒ぐぼくを見て、妻をはじめ、周囲の人はあきれる。でもしょうがない。この自然世界は、納得のいかないことであふれている。「あなたって、どうしてそんなに疑い深いの?疲れるでしょう」時々ぼくはそういわれる。でも、納得のいかないことをそのまま肯定したら、ぼくはぼくでなくなるような気がする。20代前半、ぼくはある人生上の問題で、聖書を読まされることになった。わが家には仏壇があったので、おそらくぼくは仏教徒なのかもしれなかったが、ぼくはそのころ、神も仏も妄想だと考え、バカにしていた。宗教なんて、心の弱い人が頼る薬のようなものなんだと。ぼくはヤレヤレと思いつつ、聖書をめくった。すると、まず、こう書いてあった。
「初めに、神が天と地を創造した」
驚いたことに、ぼくはそれを否定できなかった。変だとも思わなかった。もしそうなら、この世界は、ぼくの納得のいくものになる。数日前、このブログに時々遊びにいらっしゃるOTOさんに、進化について質問された。そのスレッドで、進化に関する本を紹介したからだと思う。ぼくは思うがままに答えたのだけど、後でちょっと気になり、一昨日から、ネット上で進化論について調べ始めた。すると、興味深いページが見つかった。それは、「インテリジェント・デザイン、最新情報」というページ。とてもおもしろい。インテリジェントデザインの存在自体は知っていたのだけど、ぼくの勝手な思い込みで、これも多数ある宗教の一派だろうと思っていた。でも、読み始めて驚いた。それが、ぼくの世界観と、ほとんど同じだったからだ。ぼくは、妻を初め、ぼくの周囲の人にずっと、進化論のおかしさを訴え続けていたが、おそらく感性が違うのと、ぼくの説明のヘタクソさのせいで、どうしてもうまく伝わらなかった。(今でもそうだけど)。まだ出合ったばかりのインテリジェント・デザインだけど、これから勉強することで、もしかすると、ぼくの世界観について、少しはましな説明ができるようになるかもしれない。そんな予感がある。当然、失望の可能性もあるけれど。そういうわけで、記念日的に、ここに書いておく次第です。
秋の夜長、この世界を疑ってみるのも一興かと思うのですが、いかがでしょう。ついでに、進化論を否定することが、何を意味するかも。

“この世界を疑ってみる?” への9件の返信

  1. 哲学してますね~。私の職場の先輩も似たようなことを言う方がいます。その方が勧めた「恐怖なしに生きる J.クリシュナムルティ著 」という本が役に立つかも・・・

  2. marutaさん、こんばんは。いままで、駅の映画館で映画を見てました。イーグル・アイという洋画。むかし見た、マイノリティ・リポートと、アイ・ロボットを混ぜたような映画でした。アメリカ人って、ほんとにこういうのが好きだなぁ。最近、秋が深まったせいか、妙に哲学してます。ぼくと同じような考えの人が、けっこういることを知って、喜んでます。でも、ぼくがその話を嬉々として何度もしつこく話すので、妻はかなり迷惑そう(笑)。「恐怖なしに生きる J.クリシュナムルティ著 」、調べてみようと思います。ありがとうございました。

  3. こんにちは。
    「進化論」ですかぁ~。
    難しいですねぇ~(笑)。
    でも、基本的に「人は進化」はないかも知れませんが「人に合す」という事は大人になるにつれてあるとは思います。「子供」は自己を通そうとしますけど「大人」になるにつれて妥協したりとか。
    そう考えると「進化」というより「損得勘定」的な感情は生まれるのかも?。
    考えがまとまらないので、ちょっとCM・・・。
    http://jp.youtube.com/watch?v=XoVAUg0JcIg
    それでは・・・。また。。。

  4. おお~。
    ちょっと話がずれてるかも知れませんが・・・ワタクシは小6の最後の授業で担任が「なんでも質問しなさい。答えるから。」といわれたので「宇宙は誰が造ったんですか?」と聞きました。
    クラス中に大笑いされましたが、あの子達、何故笑ったんでしょうねえ。分からなくもないけど。
    担任の先生は困った顔で「宇宙は誰が造ったとはいえんのよ。神様が造ったとよ。」とおっしゃいました。
    じゃあ、神様ってどこにいるの?と突っ込むにはキビしい空気が漂っていたので、私の疑問は今も答えてくれる人のないまま自力にて模索中です。
    インテリジェントデザインの記事はまだ読んでないんですけど、新たな回答を見いだす手がかりがいただけそうな予感?このあと見てみます。楽しみ~♪

  5. ☆9時から男さん
    う~ん、これは9時から男さんが考えている様子を刻々と描写しているような、不思議なコメントです。こういうのをthinker論っていうのかもしれませんね。
    ☆麦の花@てんぷるさん
    >「宇宙は誰が造ったんですか?」と聞いて、クラス中に大笑いされる…
    この意味は案外深いですね。NHKラジオに、子ども科学電話相談室、という番組があります。ぼくはこの番組が好きで、夏休みの間はこれを聞きながら通勤するのですが、子どもの質問は、ほんとにおもしろいですね。たぶん、本質を突いているからでしょう。別の言い方をすれば、彼らにはよく見えている。聞いていると、その感性の瑞々しさに反省させられます。大人になると、いろんなものが見えなくなるんですね。でも子どもたちって、一見、分別があるように見えるオトナに憧れる面があって、そういう見栄が「クラス中の大笑い」になるんでしょう。今回、インテリジェント・デザインのことを記事にするにあたって、一通り調べたのですが、この考えに対する風当たりは強く、日本でも「創造デザイン学会」という会を主催する渡辺久義って方には、かなり強い風が当たっているようです。おそらく、その会の背後にある宗教団体の人気が関係してるのではないかとも思えるのですが、詳しいことは分かりません。でも、ぼくにとって、そんなことはどうでも良いことなので、気にせずに調べて行こうと思ってます。渡辺久義さんの話は魅力的です。たとえば、こんなことを話されてますので、良かったらリンク先を覗いてみてください。
    http://www.dcsociety.org/id/information/071111.html
    ぼくは、偉い学者が言おうが、バカボンのパパが言おうが、自分で良いと思ったものが良いのものだと思うのです。でもそれは、朝と晩で逆転したりする、とても困ったヤツなのですが。
    うーん、道は遠いなぁ。

  6. 過日の返信ありがとうございました。進化論”進化”淘汰”などなど難しいながらも新鮮な響きでしたのでフォルダに保存して読み返したりしています。
    聖書に「つまずきの石」の話がありますが、天国”と進化論否定”がOTOにとって「つまずきの石」かもしれません(笑)
    リンクのご紹介嬉しいです。
    読み応えありそうですね。
    夏休み子ども科学電話相談の番組、OTOもほとんど毎日聴いていました。
    子どもが気付くこと、不思議がることってすごい感性ですね。
    天文・動物・昆虫・植物・などなど「こんなことも知らなかったんだ」と思いつつも好き学びのひと時でした。ラジオビタミンの村上アナ担当の日もありましたが、鎌田 正幸アナは子ども相手が上手ですよね。
    晩秋の 夜の静寂に 進化”問う (^o^ゞ)
    Thanks♪

  7. そうですか、OTOさんはクリスチャンなんですね。そうと知っていたら、もっと丁寧な返事を書けたような気がします。ぼくがOTOさんにとって「つまずきの石」になっては大変ですから(笑)。先日、インテリジェント・デザインのHPを読んで知ったのですが、ローマカトリックは進化論を積極的に肯定しているんですね、進化は創造と齟齬をきたさない、と。インテリジェント・デザイン側のある人の解釈では、ローマカトリックは、逆に、進化論より、インテリジェント・デザインという考えを恐れているのだとか。つまり、インテリジェント・デザインは、世界をデザインしたのがキリスト教の神であるとは限らない、という考え方だから、というものです。たしかに、インテリジェント・デザインを認めた上で進化論を完全否定してしまったら、今の世の中、宗教界に、いっそうの混乱を招くのかもしれません。おそらく、穴埋め的に(笑)、キリスト教の神以外の創造者(神)が、次々に現われることになりそうです。さて、話の成り行き上、ここでちょっと、ぼくのことも話してみますね。ぼくは、教会に行くこともないし、信者さんたちと話すこともまったくありません。ただ、聖書は今でも時々読みます。ぼくがこの理解しがたい世界の中にあって、不安を覚えずにすむのは、聖書にある次の言葉がぼくの足を支えているからです。それは「神は自分のかたちに人を創造された」と、モーセの十戒にある「われは嫉妬する神なり」です。こんな卑小なこのぼくのことを、分別のある存在が、「自分のかたちに作った」といい、なりふりかまわず、嫉妬するほどに愛してくださっているのだとすれば、ぼくはもう、それ以上望むものはありません。ひとこともない。ただただ、感謝の思いにあふれるだけです。

  8. 『 渡辺久義氏の京都大学名誉教授が、2003年1月より「人間原理の探求」と題して「インテリジェント・デザイン理論」を紹介してきた論文を掲載しています。 』
    ほんの一端に触れてみました。
    ぶらりと書店に入りながら長居してしまう時って「探しもの」かな?と感じます。
    そんな探しものに遭遇したかのような心境です…v(^-^)v☆

  9. 秋って、言葉が恋しくなるんですよね。
    できたら、人間の匂いのする、温かい言葉が。
    そんな言葉を求めて、ぶらりと書店にはいる。
    時を越えて、いろんな人の言葉に出会える。
    すてきな秋をお過ごしください♪

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