江口浜の蓬莱館に昼飯を食いに行ったところ、満員で、30分待ち、とのことだった。いくらなんでも30分は長すぎる。ぼくにとって、休日の30分はとても貴重なのだ。車はUターンし、国道を南に向けて走り出した。シュトラウスのワルツをかけながら車を走らせていると、いつしか流れ去る看板の文字がドイツ語に見えはじめ、気がつくとぼくはオーストリアの田舎町を走っていた。フキアー・ゲッフェンの町を過ぎた頃、右手に大きなビール工場が見えてきた。やはりオーストリアは違うな、などとつぶやきながら車を飛ばした。シュトラウスが何曲か続き、ぼくはマジでヨーロッパの田舎町を走っている気分になっていた(ヨーロッパには行ったことがないのだけど)。やがてシュトラウスが終わると、再びぼくは日本の田舎道を走っていた。昼食は大浦にあるナントカ食堂のてんぷら定食にした。ここのてんぷらと刺身はカナリうまい。店内は強烈な演歌がかかっており、先ほどまでのオーストリア気分はカンペキに粉砕した。店を後にし、車は近くの亀ヶ丘に向かった。カーステレオからは、マーラーの交響曲第5番4楽章アダージェットが流れ始めていた。ぼくはボリュームを上げて聞き入った。あの映画の一こまが浮かんできた。「ベニスに死す」すばらしい映画だった。ベニス…。ああ、いい響きだ。そう、どうせ死ぬならベニスがいい。ここ、亀ヶ丘からの風景も美しい。遠く広がる海。沈む夕日。銀の波間を往来する船のシルエット。だが、ここで死んだら、亀ヶ丘に死す、だ。ぼくはここでは死ねない、と、思った。