ヒマ人のつぶやき

080522_01
知恵のあるものは、自分に知恵があるとは少しも思わないだろう。謙虚がそうさせるのでない。それが知恵だからだ。自分に知恵があると思う者には知恵が無い。知恵があると思うと見えなくなるものがある。隠されてしまう。その隠されたものこそ、知恵があると思う者が切に見たいと願っているものだから。これは悲劇だ。

“ヒマ人のつぶやき” への13件の返信

  1. ソクラテスの名言ですね。
    >彼は何も知らないのに、
    何かを知っていると信じており、
    これに反して私は、何も知りもしないが、
    知っているとも思っていない。
    科学者の直感が、往々にして、マイナスに働くのと似てますね。

  2. ある学者の書いた本を読んでてイライラし、思ったことを備忘のつもりで書きました。ソクラテスの無知の知に似てますけど、ぼくの場合、もっと積極的な意味があります。少し解説すると、ゾウを飲み込んだウワバミの絵を大人に見せたら、彼らは何と言ったか、という、あの話に似ています。大人になると、心で見るのがヘタになる、という話。でも、あの絵を見てウワバミの中にいるゾウを思い浮かべるのは、よほど変わり者だとは思いますが。なお、サン・テグジュペリを変人だといってるわけではありません。かも。

  3. 素敵なお話なので、書き写させていただきました。
    何度も読み返してみます。
    お写真は、ブーゲンビリアかしら?

  4. 不思議に思うことがあるのですけど、それは、隠そうとする力が、現に働いていることです。だから見えない。それは自分の悟りに頼らなければ見える。変な言い方ですが、見えている人には見えないのです。お酒を飲んでいるので、変な文になっているかもしれません。おやすみなさい。
    P.S.
    写真は、お察しの通り、ブーゲンビリアです。

  5. こんにちは。
    哲学的な事は分からないけど難しい世界ですねぇ~[E:think]。
    でも、この世界に動物はたくさんいるけど、人だけは大人になるに連れ「ポーカーフェース」を持つようになり「表情」と「感情」が違う事が出来るようになるそうです。
    例えば、失恋して「感情的には落ち込んでいても」「表情的には明るかったり」とか・・・。
    そう考えると、見えるものだけを信じると本当の事が見えないという事があるのかも・・・。
    だから、本当の事を知る為には「情報」と「時間」と「経験」が必要なのかもしれませんね。。。
    9時から男も書いていての訳が分からなくなってきたので、この辺で失礼します(笑)[E:coldsweats01]。

  6. 再びこんにちは。
    あまり使わない頭を使い難しい事を書いたのでオチを書く(張る)のを忘れました(笑)[E:coldsweats01]。。。どうでも、いいオチ何ですけどね。
    http://jp.youtube.com/watch?v=8BRSgh7xYHs
    【追伸】スプーンさんは、アニメは好きですか?。手頃な物が見つからなく、音楽部分の主人公の「決めセリフ」までだいぶ長いので気長に見てくださいね(笑)[E:coldsweats01]。

  7. 自分に知恵がないと思うものは、教えを乞う。
    自分に知恵があると思うものは、自分の悟りに頼るあまり、新たな知識を受け入れにくい。
    教えを乞うものは、「知識」と「時間」と「経験」を省略することができる。
    それこそが、正に、知恵だったりする。
    自分に知恵がないと思うものこそ、知恵を持っている。
    こんな理解で良いのでしょうか?
    P.S. ゆらは、揺羅です。

  8. あぁ、まだ理解が足りないようです。
    >隠そうとする力
    とは、自分が無知だということを隠そうとすることなのか、自分は知っているという変な悟りなのか。
    >その隠されたものこそ、知恵があると思う者が切に見たいと願っているもの
    わかりません。
    自分では、わかっている(つまり知識はある)が、経験のないことを、知恵のないままに実際に経験しているものに出逢ったときの衝撃のようなもの。
    お酒を飲んでいないのに、変てこな文章になっています。
    もっと、考えてみます。

  9. ☆9時から男さん、
    >哲学的な事は分からない
    まさに「分からない」。そういうことだと思います。分かる、とは分けること。分けることができないものは、分からない。口に入らない大きなリンゴは、そのままでは食べられないので、どんな味がするか分からない。リンゴは切ったり、つぶしたり、つまり、分解できるので、どういう性質のものかわかる。でも、分けるとその性質を失うもの、消えてしまうもの、そして分けられないもの。そういったものもあるわけです。分けられないものをあるがままに受け入れるということは、自分の悟りに頼らないことだと思います。腑に落ちてはいけない。宙ぶらりんのまま。位置エネルギーを残した状態。小さなおわんに、大きなものを無理に入れようとしない。それでいいのだと思います。悟ることが、腑に落ちる状態だとすると、ずるい言い方かもしれませんが、そういう居心地の悪さを常態的に受け入れる態度が悟りかもしれません。分からないことに違和感を覚えない人にはどうでもいい話ですけど。
    >スプーンさんは、アニメは好きですか?
    ほとんど見ませんが、見始めると、けっこうハマって見てしまいます。最近見たアニメでおもしろかったのは、「シュレック」。これは楽しかったです。
    ☆ゆらさんは、おそらく、ぼくの文章に何かしら、違和感というか、引っかかるものを感じたのでしょう。あるいは、自分の心のパズルの空白を埋めるピースが、ふいに見えたのかもしれません。パズルの本質が、それを探すことにあるように、こうして突然浮かび上がったピースの空白を埋めるために心の旅に出るのは、とても楽しいことだと思います。ぼくはぼくなりの旅をしてきてますし、今も旅の途中です。旅は単なる移動ではありません。その過程を楽しんでください。よかったら、試しに、こちらをちょっと訪ねてみませんか。
    http://coffee.synapse-blog.jp/life/2006/02/post_5129.html

  10. ご紹介いただいた記事を訪ねてきました。
    泪がこぼれました。
    それは、たぶん、わたし自身がみすぼらしい猫だからかもしれません。
    しかし思うに、頭をなでられない猫は、なぜ頭をなでられないのかとか、どうして自分だけなでてもらえないのかとは考えていないでしょう。
    その猫に共感できるか否かは、こちら側にかかっていると思います。経験からくるもの。もしくは、想像。
    知恵がある人にないものは、もしかしたら想像力かもしれません。
    わたしも、ずっと旅をしています。終わらない気がします。

  11. 再び、こんにちは。
    いろんな人のコメントを読ませてもらい、思った事を一言書きます。
    あくまで9時から男の考えに過ぎませんが
    知恵ある人にないものは、「理解力」のように思えました。自分の知恵を信じるがゆえに、相手の事を理解できなくなるのでは?。。。。
    そう考えると、「知恵」もその人の経験により生み出される産物のようにも思えるのですが・・・。
    やっぱり、結論は出ない世界なのかもしれませんね(笑)。。。[E:happy01]。

  12. 何度も、すみません。。。
    今度は、業務連絡を書くのを忘れました。。。(笑)[E:coldsweats01]
    【業務連絡】今日の昼過ぎに「皇徳寺」に寄らせてもらいました。今回は「ブラジル ニブラ」をお勧めしてもらったので、明日の朝のモーニングコーヒーにしたいと思いました。。。
    「どんな味なんだろぁ~」・・・こっちの方を考えている方が9時から男には似合っているかも(笑)。
    ちなみに、マダム系のおば様方が3人いらしていました。

  13. ☆リンク先の記事は、ゆらさんのおっしゃるとおり、かわいそうなネコ、という人間の視点で見たセンチメンタルな文になってますが、動物たちは人間とは全く異なった方法で世界を認識しています。日高敏隆という学者が、すべてはイリュージョン(幻想)である、と言ってます。ぼくもその通りだと思っています。以下、参考になるか分かりませんが、人間の視点から見ると異様に映る「昆虫の知恵」を引用しておきます。スティーブン・ジェイ・グールド著「ダーウィン以来」10章 生物の知恵、より
     ———— ここから ————
    たとえば、キノコバエ科の昆虫を例にとって考えてみよう。この小さなハエの生活様式は、われわれの社会通念という、この場では不適当な基準を携えて彼らに感情移入してみた場合、苦痛や不快感をいだかせるようなものでしかない。キノコバエ科の昆虫は、発育する場合に、二つの育ち方のうちどちらか一つの道筋をとる。ある条件のもとでは、卵から孵化すると、幼虫から蛹へと脱皮する通常のコースをたどり、ふつうの有性生殖をするハエとして羽化する。しかし、またある条件のもとではその雌は単為生殖をする、つまり雄による受精なしに子どもを生ずる。単為生殖は動物の間ではきわめてありふれたものだが、キノコバエは興味ある形でそれをもう一ひねりしている。まず第一に、単為生殖をする雌は発育をその初期の段階で止めてしまう。彼女たちは普通ハエになることはなくて、幼虫、ないしは蛹の段階にあるうちに生殖を行う。第二に、この雌は卵を生み落とすことはない。その子どもたちは母親の体内で発育を始めるのである。栄養は与えられず、子宮の保護下にも置かれていないのだが、この子どもたちは母親の体組織そのものの中に入り込んで、やがて母親の体全体を満たしてしまう。子どもたちは成長するために、母親の体を内部からむさぼり食うのである。わずか数日後、彼らは母親の体外に出てくるが、そのときには母の形見としてはキチン質の殻があとに残るのみである。そして、それにつづいて二日もすると、今度は彼ら自身の体内に宿る育ちざかりの子どもたちが、文字どおり彼らを食いつぶしにかかるのである。
     ———— ここまで ————
    ゆらさん、楽しい旅をお続けください。
    ☆9時から男さん、自分に知恵があると思っている者にとって、その思いは理解の障害になるでしょうね。経験によって得られる知恵もありますが、万事塞翁が馬、的な、人間にはちょっと理解できそうもない知恵もありそうです。
    ブラジル ニブラ、お買い上げありがとうございます。
    ブラジルの朝を想像しながら楽しんでみるのもおもしろいですよ♪

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