幻想の海

潮が引いた砂浜を、ぼくは子供のように水を跳ね上げながら走りまわっていた。驚いたカニたちが広がる波紋のように逃げ惑い、われ先に穴に隠れこむ。そんなカニに向けて、ぼくはカメラのシャッターを何枚も切っていた。
これ、昨夜見た夢。朝起きて「また変な夢を見てしまったなぁ」と思ってたんですが、今、不思議なことに気づきました。昨日まで、あんなにイライラしてたのに、今日は別人のように、穏やかな心持ちなのです。もしかして、あの夢のおかげかもしれないな、と思いました。ここ一ヶ月くらい、いろんな用事のせいで、ずっと海に行けず、昨日も、今日こそは行けるかな、と期待してたのに、やはり行けなかった。それで、今朝のような夢を見たのかもしれない、というわけです。ぼくは自分でつくった幻の海で遊び、とりあえず満足したのです。自分のことながら、みょうに切ないキモチになりました。ぼくの中には海で遊びたがるワガママな子どもがいるようです。そういえば、あのアントニオ・ガウディも「ぼくには時々海を見ることが必要だ」と言って、毎週日曜日、堤防に出かけ、海を見ていたそうです。

“幻想の海” への7件の返信

  1. 海の見えるレストランでソーダ水を飲むといいらしいのですが…
    とりあえず、たっぷり眠ってみてはいかがでしょう。

  2. 奇遇ですねぇ~。僕も、今日のエントリーをしてから、スプーンさんの、この投稿を読みました。
    海遊びは、僕たちにとって、「心のサプリメント」みたいなものですね。

  3. かずさんのエントリーを読んでて、ぼくとそっくりだな、と思ってびっくりしました。ぼくは夏と海が大好きで、息子には夏海、という名前を付けました。息子は女の子みたいな名前だ、といって大変嫌がってましたが、今はそれ程でもないようです。
    もうすぐ、本格的な夏ですね。あの白い入道雲を見ると、モリモリ元気が出てきます。

  4. 大学時代、同級生になったクラスメイトに、「夏海」と「冬海」という双子の姉妹がいましたよ、、、。
    何だか、凝った名前ですよね。

  5. JO○○ 9時をお知らせします。ピーン。
    今日は、とある珈琲のお店からお贈りします。9時から男です。
    リクエストが少ないので、始めに9時から男の「独り言」をお贈りします。。。聞きたくありません[E:coldsweats01]
    こんにちは、スプーンさんも「ちょっとお疲れぎみでは?・・・」。
    「イライラ」したり「疲れた」と感じる時は、「心が疲れたり、孤独」を感じたりしている時が多いように思えます。
    そんな時「今、誰とも話したくないの」という人もいますが、反対だと9時から男は思います。「独り」になりたい時こそ「多くの人と話」をした方がいいように思えますけど・・・。相手は、誰でも構わないと思います(例えば、コンビニの店員さんなど)。たわいもない話でいいと思います。。。
    時として「会話」は「癒し」を生みます。
    totto*様の「向き、不向き」の記事ではないですけど「愚痴」に対して「正論」や「同情」「思いやり」も大切だと思いますが「ただひたすら、その人の話を聞いてあげる」という「癒し」が一番大切だと思ったこの頃です。。。
    「時」はすべての事を解決する力をもっています。
    「涙」は心を軽くする力をもっています。
    素直な自分と向き合えばきっと、何かが見つかると思います。
    リクエスト曲。高橋洋子「魂のルフラン」
    http://jp.youtube.com/watch?v=_niGeUJS3IE
    最長コメント更新ならず・・・無念(笑)。

  6. ☆かずさん、やっぱり女性ですか。一時、息子の不満がうるさく感じられたとき、夏海という名の男性をネットで必死に探したのですが…
    見つかりませんでした。
    息子には悪いことしたなぁ。ウヒヒ
    ☆9時から男さん
    なるほど、そうですね。ぼくは中学生の頃から日記を書いてましたが、書き続けることができたその理由は、今思えば、話し相手が欲しかったから、だったような気がします。その証拠に、よく使っていた言葉が「孤独」。だれかに分かってもらいたかった。今の自分のことを。でも、ぼくは変わっていたので、だれにも分かってもらえなかった。いや、勝手にそう思い込んでいたのかもしれません。友達は人がうらやむほど多かったのですが、ぼくの切実な孤独は、友達が癒すものじゃなかったのです。だから、日記を介して、ぼくを理解するもう一人の自分に、夜毎日記を書き綴っていました。
    翻って、ここ何年か前の話です。だれの作品だったか…宮本輝だったような気がするのですが、月夜の海に、一人で小舟を漕ぎ出し、瓶を開け、月を眺めながら酒を飲む。そういうシーンがあったのです。ああ、今の自分は、自分と対話する時間を失っているな。そう思いました。そしてぼくは再び、自分と向き合いはじめました。人と本気でつきあうことと自分とつきあうことは、まったく同じです。なぜなら、人を含め、認識できるものはすべて自分の中にしか存在できないからです。自分が変れば、その瞬間、人も変わってしまいます。自分というヤツは、底知れないですよ。ポーという作家が次のように言っています。
    「真の告白を試みてみよ。ペンの下で紙は火を吹き、たちまち燃え尽きてしまうだろう」
    あ、ずいぶん脱線してしまいましたね。9時から男さんが
    >「ただひたすら、その人の話を聞いてあげる」という「癒し」が一番大切だと思ったこの頃です。。。
    って、書いてらっしゃったので、ぼくもそうだったな、と思い、こんなことを書いてしまいました。ただし、ぼくは自分自身の叫びに耳を傾けていたわけですけど。

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