lumiere naturelle

昨晩、風呂でシャワーを浴びながら、ぼんやり考えていた。ぼんやりだから、その考えはクラゲのようにブヨブヨしている。構造的にヨワイ。ぼくは言葉について考えていた。言葉って、つくづく不思議だな、と。人が言葉を選んでいるように見えて、実は言葉自体が言葉を選んでいる。言葉が人を操作し、何かを表そうとしている、みたいな。言葉が有する相補性とでもいおうか。これは錯覚? それはちょうど、真っ暗な部屋にあらかじめ置かれた地図に光が射して、少しずつ全体が現われる、そんな感じ。こんなことを考えてたら、3回もシャンプーしてしまった。あいかわらずヒマだね。

“lumiere naturelle” への5件の返信

  1. 今日はスーツ姿で来店したのでびっくりしましたか?スーツもたまにはいいですね。気が引き締まって。あとシャンプーならボーっと考え事していて2回までならしたことあります。
    言葉ってホント大事。同じことを言ってもうけとりかたは人それぞれだし。かといって何も言わないと伝わらないし・・・。時にはおおきくきづつくこともありますよね。そこで今,「アサーション」を取り入れようと勉強してます。詳しくは私のブログでアップする予定です。

  2. こんにちは。
    「言の葉(ことのは」)の言を木に変えると「木の葉」になりますよねぇ~。だから言葉も木の葉のように、その時に似合った美しさを持ていると思います。たとえそれが枯れているように思える言葉でも・・・。
    言葉は流行語のように、その時にしか生きれない言葉もあります。でも木の葉のように、その世界の栄養になります。特に日本語は昔から言葉遊びが出来る素敵な言葉だと思います。
    (おぬしは、朝から何を強引な事を言っているのでしょうかねぇ~。あっ。このコメントも言葉を使っている[E:happy01])

  3. ☆marutaさん、昨日はどうも。スーツ姿、ビシ!と決まってましたよ。ぼくも少しだけキンチョーしました。かも。
    今回の記事は、昨日marutaさんに話したものと同じです。言葉と数字、これは人が使う道具の中でも極めて特殊な感じがするんです。それ自体に魔性が潜んでいるような。ぼくらが棲む物理世界の上位に位置するものの影、とでもいいましょうか。うまく説明できませんけど(笑)
    昨日お聞きした「アサーション」の話、興味があったので、夕食時に息子にその話をしました。正常なコミュニケーションを図る上で重要だと思いましたので。息子には、相手の意見を鵜呑みにせず、もし相手の話がおかしいと思ったなら、自分の頭で考えたうえで、間違ってもいいからちゃんと反論しなさい、といっておきました。
    ところで、そういう意味で良かったのでしょうか、アサーションって(笑)
    ☆9時から男さん、朝が早いですね(笑) 9時から男さんがおっしゃるのとはちょっと意味が違いますが、旧約聖書に次のような言葉があります。
    「時宜にかなって語られることばは銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ」
    適切に使われた言葉は誰の目にも美しい、といった意味なんでしょうか。もしそうなら、簡単なようで難しいことだと思います。
    なにかの本で読んだのですが、谷川俊太郎が「あなたの好きなものは何ですか?」と問われ、「言葉」って答えてました。言葉は難しいですが、まずは好きになることで言葉のほうから擦り寄ってきてくれるかもしれません。9時から男さんは、言葉が好きなんじゃないかな~、と思ったので、こんなことを書きました(笑)

  4. 今日2度目の登場ですみませんです[E:wobbly]。
    ほんと、言葉って人の受け止め方によって違うのですねぇ~。今度、心理学でも勉強してみようかなぁ~。なんてね[E:heart04]。

  5. 言葉は難しいですよね、ほんと。特に、今もそうですが、こうして文章でコミュニケーションを図る場合、ある程度のテクニックが必須になります。相手が怒っているのか笑っているのか、文章からは汲み取りにくいですから。そこで、それを補うために顔文字を使っちゃうんですよね[E:coldsweats01]

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