マークⅡ

今日は三か月に一度の歯のメンテナンスの日。歯は大事だ。よくわかってる。でも病院は嫌い。というわけで今回も異常は発見されなかった。

峠のソバ屋で昼食。ぼくはここのソバが一番好きかも。山の上にある大型ショッピングセンターで一週間分の買い物を済ませ、ソフトクリームが100円だったので、そんなに食べたくなかったのに買って食べたら冷たさが歯にしみて涙が出た。

山の上野公園をぶらぶら。小雨が降っているが傘をさすほどじゃない。

イチョウ並木の下はギンナンだらけ。変なにおいを放っていたが、踏まずに歩くのは困難だった。

雨の池をしばらく眺める。吉田拓郎の歌にマークⅡというのがあって、こんなフレーズがある。
「年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日が来るだろうか」

山の上のショッピングセンターで買ったイワシ。159円。

8匹入っていた。夕食はこれになった。ぼくが6匹、ヨッパライ某が2匹

黄昏の二人

ぼく : ぼくたちの年を一日の時間で表すと夜だろうね、日はとっくに沈んでる。

客(推定年齢80) : いや、まだ沈んでない。山の上で輝いている!

平凡な一日

早朝4時15分。北東の低い空、北斗七星の右下に見えたレモン彗星。月明りと朝モヤのせいで肉眼では全く見えない。

午前中、ヨッパライ某と娘を連れてヨッパライ某の母のいる施設を訪問。そのあと娘をJR駅に送り、ヨッパライ某は映画「国宝」を見に出かけ、ぼくは家にこもって新しいパソコンのセットアップ。なんだか平凡な一日であった。
写真は横浜美少女からもらったナポリタンレトルトを使って作ったナポリタン。懐かしい昭和の味でした。

ソロモンの指輪

娘が帰ってきたので、久しぶりに家族4人、そろって夕食。みんな元気、のはずだったが、娘は近頃どこかで食べたジビエ料理にあたったそうで、いつもの半分しか食べなかった。その娘が「これ知ってる?」と本を差し出した。「ああ、もちろん知ってるさ」と言いたかったが知らなかった。
「おもしろかったよ~」とのことで、箸をおいてパラパラとページをめくってみる。なかなかおもしろそう。動物行動学の日高敏隆さんの書いた名著「チョウはなぜ飛ぶか」と同じで、現場に赴いて鳥(シジュウカラ)を観察し、実験しながら検証していく。書いた人は鈴木俊貴という人で、東京大学准教授、動物言語学者なんだそうだ。動物言語学者、なんて初めて知ったので、ネットで調べると、


「動物言語学者」は、主に鈴木俊貴氏を指します。鈴木氏は、シジュウカラの研究で世界で初めて動物が言語能力を持つことを証明し、動物言語学という新しい学問分野を創設した第一人者です。


なんだそうです。へぇぇ~~!

Windows10のサポートが切れるらしいので、15年使ってきた自分用のパソコンを新調することにした。仕事には使わないのでWord、Excelは入っていない。インストールするのは画像編集ソフトと天体観測アプリくらい。

風立ちぬ

今日から私は心の旅人。
某高原のコスモスが6分咲きだというので行ってみた

窓を全開にして車を走らせる。たまにキンモクセイの甘く切ない香りが車内に流れ込む。まだ夏だったぼくの心のカレンダーも、やっと秋になった。

つぼみがいっぱい付いている。7~8分咲きといったところ。
駐車場の横で地産の野菜を売っていた。うまそうなピーナッツと新米が安かったので買った。

昼食は某河口にある漁協直営の食堂で。ヨッパライ某は寿司定食、ぼくは刺身定食にした。とてもおいしかったです。

満月の空に狼煙が上がる夜

そういうわけで月曜の朝は砂浜にいることが多い。ショーシャンクの空のラストシーンみたいな朝

病院や施設をハシゴ。昼食にありつけたのは2時過ぎ

山を越え、肉の直売所に向かう。その前に海に出て波打ち際を歩く

ゴーストクラブ。カニのくせに恐ろしく足が速い

打ち上げられたクラゲ

今日は中秋の名月とかで、月を見ながらバーベキュー

再生パソコンは9980円だった

そろそろ店のノートパソコンをWindows11マシンに替えなきゃ、ってことで熱帯雨林に注文したパソコンが届いた。
店用のパソコンはWordとExcelとメールソフトが使えてネットが閲覧できれば十分なので、MS Office入りの再生パソコンをチョイス。9980円。傷も汚れもなく、ちょっと離れて見ると新品同様。なおスペックは以下の通り。

Win11 Pro
Core i3
SSD128GB
メモリ8GB
MS Office
DVD-ROM

とりあえずパーテーションを切り、80GBをシステムドライブ、残りをデータ用に割り当てた。

迷える羊はエビフライ定食の夢を見るか

月曜の朝は例によって、ここにいる。雨が降っているので傘をさして歩く。心は動かない。なにも浮かばない。

病院でヨッパライ某を拾い、南へ走る。BGMは数日前、映画チエンソーマンのエンドテーマと一緒にダウンロードした米津玄師のSTRAY SHEEPというアルバム。昼食は漁港近くのスシ屋でエビフライ定食にした

海浜公園を縦断し、海に出る。答えは見つからない

蜃気楼

車を走らせてたらヨッパライ某が「ヨネツケンシって知ってる?」って聞いた。名前は知ってる。とぼくは答えた。宇多田ヒカルと歌ってる曲があるから、それをスマホに入れてほしいんだけど

家に帰ってiTunesストアからダウンロード。調べてみるとこの曲はチェンソーマンというアニメ映画のエンディングテーマだそうだ。チェンソーマンって何?というわけでPrimeVideoで見て学習。意外とおもしろい。途中、主人公が女性上司にこんなことを打ち明ける。

俺はずっと追いかけていたもんをやっとつかんだんです。でも、いざつかんでみると、そんなもんは俺が思っていたより大したことなくて。
もしかしたら、これから俺がまた何か違うもんを追いかけてつかんだ時も
「追いかけてた頃の方が幸せだった」
って思うんじゃねえのかって・・・


既視感があった。それは先日読んだサンテグジュペリの「人間の土地」のワンシーン。テグジュペリは砂漠の真ん中に飛行機を不時着させ、飲み水もほとんどないまま蜃気楼に惑わされつつ砂漠をさまよった。以下、そのシーンから。


やはり西方にあるのはすべて人を欺く幻だった。僕は立ち止まり、今度はまっすぐ北に向かう。北方は少なくとも海の歌声に満ちているはずだ。ああ!あの頂を超えれば、地平線が広がっている。この世で最も美しい町が現れる。
「それが蜃気楼だってことはよく分かっているだろうに・・・」
そうとも、よく分かっている。それは蜃気楼だ。誰も僕を騙せはしない。だが、もし僕が蜃気楼に向かって突き進むことを望んでいるのだとしたら?希望を抱くことを望んでいるのだとしたら?