ぼくは過去に戻る必要を痛切に感じた。ぼくはまた失敗してしまったのだ。もう過去に戻るほかに道はない。ドアを開けて外に出ると、街は寝静まり、コンビニ前の信号も寂しげに点滅していた。ぼくはだれもいない道路に出て黙々と屈伸運動を始めた。体が温まってくると、ぼくは2、3度軽くジャンプしたのちに後ろ向きに力強く走り始めた。ぐんぐんスピードがのってきて音速の壁を越えようとした時、突然周囲の景色がゼリー状に溶けて流れだした。ワープだ。次の瞬間、ぼくの腕時計はゆっくり逆回転し始めた。
つづきません
あと一枚
あの空
磁気嵐
クモの巣
気のせいなのだろうか。今年はクモの巣をよく見かける。どこを見回してもクモの巣だらけだ。高い電線の間にもクモが網を張っている。ヤツはナニを狙っているのか。ぼくはアレじゃないかと思っている。数年前より大量発生し、昼間っからヒラヒラ飛び回っている、黒とダイダイの憎たらしい蛾。そう、キオビエダシャク。でも、キオビエダシャクがクモの巣にかかっているところを見たことがない。クモは頭が悪いのだろうか。もうちょっとしっかり網を張ってほしいものだ。
(クモが嫌いな方、クモの写真を載せてすみません)
いつもと同じ
先生とは、わけのわからないおじさん
午前中ヒマだったので、先日お客さんが貸してくれた本を読んだ。本を開くと、初めにこんなことが書いてある。
———- ここから ———-
みなさん、こんにちは。
「先生はえらい」というタイトルの本を書くことになりました内田樹です。この本は中学生や高校生を対象にした新書シリーズの一冊です。このシリーズの一冊を担当することが決まったとき、編集者の方に、「どんなことをいま、いちばん中学生や高校生に伝えたいですか?」と訊ねられました。コーヒーをスプーンでくるくるかき回しながらしばらく考えて、こう答えました。
「『先生はえらい』、かな」
今の若い人たちを見ていて、いちばん気の毒なのは「えらい先生」に出会っていないということだと私には思えたからです。
———- ここまで ———-
「だよなー、ぼくもエライ先生に出会っていたなら、今頃こんなことはしてなかっただろうし」
思わずぼくはタメ息をついた。で、その、えらい先生って、どんな先生なんだろう。
興味津津、ぼくは読み進んでいった。その逆説的な展開にびっくりしながら読んでいくと、残りのページも少なくなってきたあたりで、こんな文に出会う。
私たちが敬意を抱くのは、「生徒に有用な知見を伝えてくれる先生」でも「生徒の人権を尊重する先生」でも「政治的に正しい意見を言う先生」でもありません。
私たちが敬意を抱くのは「謎の先生です」
な、謎の先生? えー?なんで~。
それは、この本を読めばわかることになっていますが、本の初めのほうに書いてある次の文句がそれを示唆しています。
「私たちが学ぶのは、万人向けの有用な知識や技術を習得するためではありません。自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するために私たちは学ぶのです」
ぼくはこれを読んで、オスカーワイルドの「人生は芸術を模倣する」「自然は芸術を模倣する」という文句を思い出しました。自然は芸術を模倣する。一見、逆のようですが、これでいいんだと思います。芸術は自分の中にあるのですから。
それにしても、これが中、高校生向けの本だなんて。
おらータマゲタだ。
今日の仕事男
金曜日の夜は
金曜日は、あの男がやってくる。
先週の金曜日にもやって来た。
先々週の金曜日にもやって来た。
先々々週の金曜日にもやって来た。
中略
そう、彼は永遠にやってくる。ような気がする。
ぼくは彼のことを金曜日の男、と呼んでいる。
そんな風に呼ぶと、どこか翳のあるハードボイルドタッチな男を思い浮かべるかもしれないが、それは大間違いだ。ところでぼくは豆腐鍋が好きだ。豆腐鍋が好きな人間に悪者はいないという。そこで、先週彼が来たとき、豆乳鍋の材料、豆乳を注文した。そういうわけで、今夜は豆乳鍋なのであった。うまい。実にうまい。死ぬほどうまい。ような気がする。今朝しぼり立ての豆乳で作った豆乳鍋は、いわゆるひとつの高級料理店で注文すると6000円ぐらいしそうな味なのだった。ぼくは思った。やはり彼はただものではない。金曜日の男。
金曜日の男で思い出したが、当店には、仕事男、という、一見、ハードボイルド風の男も顔を出す。明日から「ねんりんピック」が始まるが、この入賞メダルをデザインしたのは彼である。彼もただものではないのかもしれない。ぼくは彼をこう呼んでいる。仕事しすぎ男。
カッコイイはずのオレ
ヒマだったので、店の外に出て、となりの庭に生えている花の写真を撮っていた。すると、遠くから若い女性が歩いて来るのが見えた。ぼくは花の写真を撮るふりをしながら、横目で彼女を見ていた。彼女は、ぼくをチラチラ見ながら通り過ぎて行った。数年前だったら、ぼくはこう思っただろう。
「ふっ、カメラを構えているオレって、そんなにカッコイイのかな」
だが、今はそうは思わない。あれは去年の夏だった。
ぼくは、となりの庭に生えている花の写真を撮っていた。すると、通りがかった近所の主婦がこう言った。
「あんた、怪しいよ」
いつの間にか、カッコイイはずのオレは、カメラを持った怪しいオジサンになってしまっていたのだ。ちなみに今は素直に怪しいオジサンを自認している。