山の向こうに何があるのだろう。たぶん、だれも知らない。少なくともぼくは知らない。冒険はいつもこのようにして始まる。そしてぼくは今日も美しい白馬にまたがって山を超える。ような気分で汚れて灰色になった白い車のアクセルを踏んだ。

山を下って信号を右折し、まっすぐ走っていくとそこは海。海の向こうに何があるのだろう。たぶん、だれも知らない。少なくともぼくは知らない。しかし、今日はそんなことはどうでも良かった。遠い目で海を眺めながら、お客様から頂いたリエットをおごそかにパンに塗りつけて食べるのが今日の目的なのだから。その前に海の写真を撮ってこようと思い、海に面した岸壁に車を止めた。

「写真を撮ってくるからパンを切って準備していてくれ」と、となりのヨッパライ某に言い残し、海岸に出た。写真を撮って車に戻ると、ヨッパライ某がうれしそうな顔をして「ニュースがある」という。ぼくはイヤな予感がした。
「リエット、忘れちゃったー」
実にすばらしいニュースだった。パンだけではあまりに悲しすぎるので、車はUターンし、某食堂に向かった。1050円の定食を食べ終えると車は近くのカメが多か、という丘に上っていった。

その丘の眺めのいい展望所には桜を植えた庭園があり、池があった。カメはいなかったが、オタマジャクシが1600匹近く泳ぎ回っていた。


帰りに海浜公園に寄って、しばらく池を眺めていた。

地球の回転
きこえない音
秘伝 第一夜
いよいよ今夜から秘密の特訓を始めるつもりでいたのだが、
食いすぎたせいか腹が痛いのでもう寝ます。
沼
寒さが遠のいて空が明るくなる。
この季節になると思い出す。
悲しみの沼に足をとられ、自ら脱出することを望まず沈んでいった白い馬。
救いはある。
救いなど無い。
だれがそう言えよう。
賢者はどこにもいない。
ヘンシン
機械は与えられた仕事を何度でも繰り返す。
ノーミソは同じことを繰り返すのを嫌う。
ということは、どういうことか。
人は自ら変化し続ける。
今日も言われた。
あい変わらず変わっているね、と。
土
ラフマニノフな午後3時
桃
小文字の世界

佐野眞一著『目と耳と足を鍛える技術』にこんなくだりがあった。最近考えていることに関係してたので備忘として。
『忘れられた日本人』は、政治や経済といった“大文字”の世界とは無縁の“小文字”だけで書きとめられた名もなき庶民の記録だった。私は土佐山中の橋の下で暮らす古老の昔語りや、対馬の老いた漁師の語る懐古談にいいしれぬ衝撃を受けた。
「ああ、目の見えぬ三十年は長うもあり、みじこうもあった」(「土佐源氏」)と語る元牛飼いの哀切な言葉や、「やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようでごいす」(「梶田富五郎翁」)と語る開拓漁民のたくましい言葉には、手垢のついた“大文字”言葉にない清冽な“小文字”の世界がゆるぎなく定着されていた。
中略
テレビに登場するコメンテーターが口にする一見もっともらしい発言は、だいたい“大文字”言葉だと思って間違いない。私は彼らのおごそかなコメントを聞くたび、「雨が降るから天気が悪い。悪いはずだよ雨が降る」という俗謡を思い出してにが笑いする。彼らは同義反復しているだけで、実は何も語っていないのに等しいのである。
中略
世界はニュースキャスターとやらの粗雑な頭よりはるかに大きく複雑である。そしてディテールと謎に満ちている。
彼らが多用する“大文字”に対して“小文字”とは、活字だけで世界がくっきり浮かび上がる言葉のことである。
ちなみに、この本のはじめにこんなことが書いてある。
日本の教育の最大の欠点は、インタビュー技術とフィールドワーク技術をまったく教えてこなかったことである。インタビューやフィールドワークは、何も新聞記者やテレビレポーターを養成するだけの技術ではない。人の話を引き出し、正確に聞き取って、深く理解すること(インタビュー)と、見知らぬ土地を訪ねて、風景と対話し、現地の習慣を身につけること(フィールドワーク)さえできれば、たいていの難関は突破できる。






