ズームアウト

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午後5時。西側の窓から夕日が差してきた。
部屋は金色の光に包まれる。
ぼくは椅子に腰掛けてコーヒーを飲んでいる。
ぼくは目をつむる。
ぼくの意識は上昇し、雲間から目をつむっているぼくを見下ろす。
椅子に腰掛けているぼくの体が秒速400メートルで東に流れていく。
ぼくはさらに上昇していく。
太陽の周りを地球がまわっているのが見える。
ぼくは秒速30キロメートルで太陽の周りをまわっている。

公園にて

昨夜は某駅ビル映画館でMamma Mia!をみた。おもしろかった、というより、楽しかった。ABBAの曲を使ったミュージカルなんだけど、だれかがABBAの曲を歌うたびに、その歌詞が字幕に出る。ああ、なんてステキな詩なんだろう。ABBAの曲って、こんなにすばらしかったのか。ぼくは素直に感動しました。
何も考えず、楽しむための作品です。ぼくは十分楽しめました。
ビールでも飲みながら見るといいよ。
というわけで、ぼく的にこの映画のキロク: ★★★★★

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コーヒーをポットにつめて海に向かった。

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昨夜、某F少年のブログで見た某公園のベンチの色が変だったので、途中、某公園に寄って確かめてみた。やはり塗りなおしてあった。ぼくは些細なことでも気になると眠れなくなる。

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公園にはぼくの好きな遊具がいくつかある。特に好きなのがバネの付いたカバたちだ。やったことのある方なら分かると思うが、これにまたがって前後左右に揺さぶると、子どもに比べて重心が高いせいか、おもりを先につけたメトロノームの針のように派手に振れまくる。子供用の遊具とは思えないほどのスリルに、われを忘れて熱中してしまう。なめてかかると投げ出され、顔面から地表に激突し、鼻血が出たりする。なかなかの優れものだ。しかし、夢中になっているところをケータイなどで激写され、ヘタすると「変なおじさん発見!」などといったブログネタになる恐れが高い。まったく油断ならない世の中だ。

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ベンチを見て安心したので、海に向かうことにした。駐車場の木に、まっくろくろすけがたわわに実っていた。

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その海に抜ける細い道には、昼も夜も雨の日も風の日も、黒い服を着た目つきの鋭い男の人が立っている。

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着いた。ポットから熱いコーヒーを注ぎ、冷たい風の中で海を眺めていた。

なんのはな?

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「入り口のナノハナ、いい感じですね」
女性のお客さんがおっしゃった。
「あれは菜の花なんだけど、ナノハナじゃないんです」
ぼくは言った。

春一番が吹いた朝

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昨年暮れ、珈琲を買いに来るお客さんから睡蓮の苗をもらった。ぼくは睡蓮なんて育てたことが無いので、すこし不安だったけど、赤玉土と腐葉土を混ぜて水鉢に敷き、そこに苗を植えて水を張った。完全に水没させたままで、本当に大丈夫なのだろうか。腐ったりしないのか。ぼくは毎日、不安な面持ちで水の中を覗き込んでいた。
昨日、春一番が吹いた。夜になっても、ごうごうと風の吹く音は続いていた。今朝、庭に出ると、植木鉢のいくつかが倒れていた。ぼくはいつものように、睡蓮の様子を見に行った。すると見たことも無い、ピカピカの葉っぱが水面から顔を出していた。
「やあ、おはよう」
春一番は、水の底でまどろんでいた睡蓮を起こしていった。

欲しいもの

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欲しいものは いっぱいある。
でも、それを手に入れたらおしまい。
それを手にしたとたん、見えないなにかが、
じゃーねー、バイバイ
といって、消えてしまう。
だから
いつでも手に入る。でも、よしておこう。
そういう気持ちでいるとき、ぼくはしあわせ

オバサンっぽい人

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昼すぎ、ぼくは事務机で弁当を食べていた。そばに某フリーペーパーがあったので、なにげなく眺めていたら、次のような見出しが目にとまった。
  「オバサンっぽい人、それは自分について考えなくなった人」
それは槇村さとるという女の人が書いた記事であった。
ふーん、女の目から見たオバサンの定義、ね。
ぼくは興味を持って読み始めた。以下、その冒頭を引用
 オバサンっぽい人を定義してみると、「大人でもオンナでもない人」「思考が停止している人」、そして「自分について考えることをやめてしまった人」。自分のことを考えないって、根本的な問題ですよね。どうでもいいやって、簡単にあきらめちゃった人だと思う・・・
へ~、なるほど、ふむふむふむ。
ぼくは弁当を食べつつ、不二家のペコちゃん人形のようにペコペコうなずいた。ぼくはオトコなので、オトコの視点から「オバサンっぽい人」を定義したくなるが、それを書くと問題がありそうなので書かない。書きたいことは1ダースほどあるけれど。
というわけで、「オバサンっぽい人」に対抗すべく「オジサンっぽい人」を次に定義してみようと思う。
「大人でもオトコでもない人」「思考が停止している人」、そして「自分について考えることをやめてしまった人」
あれ?

ナニか来た

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昼前、空を見上げて、いやーな感じがした。
ぼくは妖怪ではないけど、たまに妖怪アンテナみたいなのがピンと立つ。なにかマズイものが近づいている。
黄砂と一緒に何か来る。
イヤな感じだ。いつもと何かが違う。
黄砂が来た。予想通りだ。
わるい予感。今夜は早く寝るべ
オヤスミー

愛は惜しみなく与う

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きのうは早咲きの桜を見ようと思ってフラワーパークに行った。でもそこで目を引いたのは太陽の光を浴びて輝くアカシアの花だった。アカシアは、その持ちうる精気を惜しみなくぼくに振り注いだ。そのひたむきさにぼくは打たれた。ぼくは与える側になく、与えられる側にあることに気づいた。

空気に溶けた一日

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風邪をひいて二週間が経っていた。
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ぼくは冬眠から覚めたムーミンのような気分で南に向かっていた。風邪のウィルスはぼくの脳ミソをムーミンにしてしまったのだ。
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そんなわけで、今日のぼくの目に映る世界はムーミンの世界だった。なにもかもがメルヘンな色を帯びて光っている。
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黄色い花、ピンクの花、白い花。どれも輪郭が空気ににじんでボケている。そしてぼくの脳ミソはいつの間にか黄色やピンクや白の空気に溶けて消えてしまった。
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☆トマトなんとかスパ  おいしいでした。
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☆テリ丼  これもウマかった。

今から数奇な人生を送るかもしれないオレ

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「年をとるごとに若返っていくぼくをどう思う?」
今、そんな数奇な人生を送った男の映画が上映されている。
  ベンジャミン・バトン 数奇な人生
そして、もしかするとぼくもそんな男の一人なのかもしれなかった。
それは昨日の午後のことだった。カウンターでコーヒーを飲んでいた二人の美女がこんな会話を交わした。
美女A 「ずいぶん背が高いけど、どれくらいあるんですか?」
美女B 「172センチ」
美女A 「へぇ~~」
ぼく 「ねーねー、ぼくはどれくらいに見える?」
美女B 「170センチ」
ぼく 「な、なんちな! ぼくはあなたより低いってこと?」
美女B 「あら、ちがうの?」
というわけで、ぼくと美女Bは背中合わせになり、美女Aに見てもらった。
美女A 「同じくらいだね」
ぼく 「げっ!」
ぼくはガクゼンとした。ぼくの身長は177cmのはずなのだ。
ぼく 「ま、まさか縮んだってこと?」
美女A,B「そうかも」
ぼくはどうしても腑に落ちず、家に帰って計ってみた。すると174.5cmであった。25mm縮んでいる。ショックであった。たぶん運動不足のせいで体がネジ曲がってしまったに違いない、明日からマジメにストレッチしなくては。いや違う、ぼくは子供へと若返りはじめているのだ。そうだ、きっとそうだ。