消えた時間

近所の病院でメタボ検診を受けてきた。ついでに胃カメラも飲んできた。胃カメラについては、麻酔で眠っている間に検査をします、とのことだった。麻酔注射のあと、すーっと意識が遠のき、気がついたら、窓のある部屋のリクライナーに寝かされていた。なんだかだまされたような気分だった。ほんとうに検査は行われたのだろうか。第一、口にカメラを入れられた覚えが、まるでない。ぼくには検査の記憶がまったくなかった。それで、奇妙なことが起こった。眠りから覚め、ややあって、ぼくは診察室に呼ばれた。先生が、胃の内部の写真を見せながら説明を始めたとき、すぐに違和感が立ち上がった。
「すみません、これ、だれの胃ですか?」
もちろん、口に出して言ったりしなかった。でも、ぼくには胃の中を見てもらった記憶がない。これはぼくの胃ではない。でも、信じるしかなかった。胃の入り口辺りが少しただれている、とのことで、それ用の薬をもらって帰った。狐につままれたような気分だった。
麻酔をした後なので、遠出のドライブは避けたほうがいいでしょう、といわれたので、家に帰ってじっとしていた。久しぶりに庭に出て、じっくり見てまわると、ソテツがずいぶん大きくなっていることに気づいた。おおむね、ほぼ確かに、時間は流れている。
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ギョーザとヤキメシ

店が終わったあと、某駅ビルに映画を見に行った。はらが減っていたので、踏切横の餃子の王将で餃子と焼飯とトリの唐揚げを食った。ここの餃子は、けっこう好きだ。今、感謝祭とかで、通常200円が150円。安いよな~。カウンターに腰掛けて焼飯なんか食っていると、学生のころや、安いアパートで生活をしてた時のことを思い出す。肝心の映画は、ぜんぜんおもしろくなくて、ひたすら眠かった。

君のためなら死ねる。かも

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密かに魔女と呼んでいるお客さんがいる。ある朝、開店前に珈琲豆を焙煎していると、明かりの消えた店のカウンターに、だれか座っている。驚いてそちらに目をやると、
「ねえ、一杯、飲ませてくれる?」
明かりをつけると、一目で高級品とわかる衣装をさりげなく着こなした年配の女性が微笑んでいた。以来、魔女はたびたび店にやってくる。魔女は日本舞踊と活花の先生をやっていて、けっこう忙しい。カウンターに座ると、いつも大きなあくびをする。そして言う。不思議なのよね、ここに来るとあくびが出るの。先日、魔女はこんな話をした。うちのだんなは、とっても優しいのよ。何でもやってくれるの。昨夜は、いただいた魚をさばこうとしてたら、怪我をするから、といって代わってくれたの。いつもそんな調子なのよ。うふふ
ぼくには彼女のご主人の気持ちが良くわかる。ご主人は、彼女の喜ぶ顔が見たいだけなのだ。彼女の微笑みには、不思議な力がある。おそらく彼女は気づいていないだろう。いや、気づいていないからこそ発現する力だ。無自覚な微笑み。とりわけ美人というわけでもなく、歳もぼくよりかなり上だ。
人としての幸せと男の幸せは、もちろん別だ。男としての幸せは女あってこそのもの。先日読んだ、分子生物学者、福岡伸一の「できそこないの男たち」という本に、生物のデフォルトはメスであって、メスにとって便利なようにカスタマイズされ、作り出されたのがオスである、みたいなことが書いてあった。つまり、元来オスはメスの召使いなのである。奴隷といってもいい。男はそのご主人である女を護り、おいしい食事を与え、楽しませ、母から預かった遺伝子を遠くに運ぶためにつくられた。しかし、周りを見渡してみると、実際にはそのようになっていない。ヒトという生物に限り、主人と召使いの関係が壊れてしまっている。これを生物界の一員として正常化させるにはどうすればいいのだろう。そのヒントは前述の魔女のくだりにある。男は女の無自覚な微笑みに抗うことができないようにつくられている。女のための労苦は、その代価たる微笑によって雲散霧消し、喜び、幸せに転化する。そのinnocenceなスマイル、天上の微笑みを後天的に身につけることは可能なのか。それは意外と簡単かもしれない。自然の掟でそうなるのだから、自然に還ればいい。前述の魔女は日本舞踊と活花の先生だ。芸を極めるには、一度、自我を殺さなくてはならない。自我の消滅は全てになることと同じだ。それは、自然になる、ということだ。自然になる、とは、魔女になることだ。魔女とは風と同様、自然なるもの、なのである。自然になることができれば、意識せずとも必要に応じて天上の微笑みが生ずることになる。女は幸せになり、それに傅くことで男も幸せになれる。めでたし、めでたし。
(ほんとか?)
Kiminotamenara

のろのろ読んでます

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仕事の合間に話題の1Q84を読んでいる。そしてつくづく思うのが、オレって、ほんとうに読むのが遅いな~、ってこと。今回は、特にノロい。理由は、「どうしてここでこの言葉を使ったんだろう」と、立ち止まってしまうから。たとえば、彼の得意技ともいえる比喩が、今回はなぜかしっくりこない。ぼくの中で違和感を伴って浮いてしまう。でも、彼はゴルゴ13に匹敵する超一級のプロだ。そこになにか新しい工夫が仕掛けられているに違いない、と思って、しばし考え込む。でも、わからない。それが何度も繰り返される。でも、それでいいのだ、と、思って読んでいる。

Cマイナーな夜をあなたに

悩んでいるフリをするのはもうやめよう。
だれだって、Cマイナーな気分に浸りたい夜はある。
Cマイナーな気分の日には、Cマイナーなブログを書く。
しかし、あとで読むと、それが不自然な文章であることに気づく。
死んだフリが定義的に不自然であるように、
悩んでいるフリも悲しいくらい不自然なのだ。
というわけで、今日も不用な記事を三つ書いてしまった。
無駄な時間を過ごしてしまった…
読んでいるあなたもきっとそう思っていることだろう。

悲しみの終わるとき

もう悩むのはやめよう。ぼくはほんとうに疲れてしまった。でも、もう少し悩んでみてもいいかもしれない。いや、やっぱりこれ以上悩むのはよそう。病気になるかもしれないし。それに、悩みすぎて、あの某ウェルテルみたいになったらみんなが悲しむ。みんなが嘆き悲しむ姿をぼくは見たくない。ぼくはそういう人だから。いや、もしかするとだれも悲しまないかもしれない。だれも悲しまなかったら、ほんとうに悲しい。

悲しき冷蔵庫

どちらかといえば、ぼくは人に悲しい思いをさせようとは思わない。でも、結果的には違うのかもしれない。なぜなら、ここ数日、ぼくの冷蔵庫は空っぽなのに、ぼくは平気でいられるからだ。空っぽの冷蔵庫は、毎日、どんな気もちでいるだろう。なにも入れないのなら、いっそ、電気を切ってほしい、と思っているかもしれない。

2000年6月のHPから

むかしアップしてたホームページのファイルを整理してたら、懐かしい記事が出てきた。

2000年6月18日
大掃除をしていて古本を見つけ、読みふけってしまった。糸井重里のスナック芸大全。その中から一つ選んで六コマ漫画にしてみた。アメリカ人の42歳のおばさんに教わったそうです。ほかに、「あっというまに、キミの前から消えて見せるよ… 1・2・3で目をつぶってごらん」相手が目を閉じたら、すかさず
「ワッハッハ、ボクが見えるかね、明智クン!」という。なんてのもある。つまんねえ?あ、そう。


シリの皮が少しムケた午後

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車が目的地に着いたとき、時計は1時をまわっていた。
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とにかく腹が減っていたので、湖畔にある食堂で昼食にした。その店の前には、そうめん流し機も並んでいて、そのうち数台がスタンバイしていた。
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以前、ここで食べた時、鯉のあらい定食がおいしかったので、今日もそれを頼んだ。注文すると、おかみさんが大きな網を持って店の前の生簀に向かう。店は質素だけど、ここの定食は一級品だ。ほんとにおいしかった。
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腹がふくれたので、いつものようにボートに乗ることにした。
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目立ちたい年頃の某F少年なら、きっと派手なピンクのミッシー号を選ぶであろうが、
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ぼくはもう十分に大人なので、目立たない、ふつうの手漕ぎボートを選んだ。
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湖の中央付近にボートを停め、ぼくは湖の深さを想像した。この湖の水深は、その大きさの割にけっこう深く、100m近くある。あのジャック・マイヨールによる素潜りの世界記録が105m。ほんとうに深い。
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