のろのろ読んでます

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仕事の合間に話題の1Q84を読んでいる。そしてつくづく思うのが、オレって、ほんとうに読むのが遅いな~、ってこと。今回は、特にノロい。理由は、「どうしてここでこの言葉を使ったんだろう」と、立ち止まってしまうから。たとえば、彼の得意技ともいえる比喩が、今回はなぜかしっくりこない。ぼくの中で違和感を伴って浮いてしまう。でも、彼はゴルゴ13に匹敵する超一級のプロだ。そこになにか新しい工夫が仕掛けられているに違いない、と思って、しばし考え込む。でも、わからない。それが何度も繰り返される。でも、それでいいのだ、と、思って読んでいる。

Cマイナーな夜をあなたに

悩んでいるフリをするのはもうやめよう。
だれだって、Cマイナーな気分に浸りたい夜はある。
Cマイナーな気分の日には、Cマイナーなブログを書く。
しかし、あとで読むと、それが不自然な文章であることに気づく。
死んだフリが定義的に不自然であるように、
悩んでいるフリも悲しいくらい不自然なのだ。
というわけで、今日も不用な記事を三つ書いてしまった。
無駄な時間を過ごしてしまった…
読んでいるあなたもきっとそう思っていることだろう。

悲しみの終わるとき

もう悩むのはやめよう。ぼくはほんとうに疲れてしまった。でも、もう少し悩んでみてもいいかもしれない。いや、やっぱりこれ以上悩むのはよそう。病気になるかもしれないし。それに、悩みすぎて、あの某ウェルテルみたいになったらみんなが悲しむ。みんなが嘆き悲しむ姿をぼくは見たくない。ぼくはそういう人だから。いや、もしかするとだれも悲しまないかもしれない。だれも悲しまなかったら、ほんとうに悲しい。

悲しき冷蔵庫

どちらかといえば、ぼくは人に悲しい思いをさせようとは思わない。でも、結果的には違うのかもしれない。なぜなら、ここ数日、ぼくの冷蔵庫は空っぽなのに、ぼくは平気でいられるからだ。空っぽの冷蔵庫は、毎日、どんな気もちでいるだろう。なにも入れないのなら、いっそ、電気を切ってほしい、と思っているかもしれない。

2000年6月のHPから

むかしアップしてたホームページのファイルを整理してたら、懐かしい記事が出てきた。

2000年6月18日
大掃除をしていて古本を見つけ、読みふけってしまった。糸井重里のスナック芸大全。その中から一つ選んで六コマ漫画にしてみた。アメリカ人の42歳のおばさんに教わったそうです。ほかに、「あっというまに、キミの前から消えて見せるよ… 1・2・3で目をつぶってごらん」相手が目を閉じたら、すかさず
「ワッハッハ、ボクが見えるかね、明智クン!」という。なんてのもある。つまんねえ?あ、そう。


シリの皮が少しムケた午後

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車が目的地に着いたとき、時計は1時をまわっていた。
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とにかく腹が減っていたので、湖畔にある食堂で昼食にした。その店の前には、そうめん流し機も並んでいて、そのうち数台がスタンバイしていた。
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以前、ここで食べた時、鯉のあらい定食がおいしかったので、今日もそれを頼んだ。注文すると、おかみさんが大きな網を持って店の前の生簀に向かう。店は質素だけど、ここの定食は一級品だ。ほんとにおいしかった。
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腹がふくれたので、いつものようにボートに乗ることにした。
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目立ちたい年頃の某F少年なら、きっと派手なピンクのミッシー号を選ぶであろうが、
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ぼくはもう十分に大人なので、目立たない、ふつうの手漕ぎボートを選んだ。
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湖の中央付近にボートを停め、ぼくは湖の深さを想像した。この湖の水深は、その大きさの割にけっこう深く、100m近くある。あのジャック・マイヨールによる素潜りの世界記録が105m。ほんとうに深い。
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ぼくとの出会い

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ぼくは枯れた花の写真を撮ったことがない。何日か前、ぼくは、そううつだものさんのブログを見て不思議な感動を体験した。正確に言うと、感動している自分に気づいて、びっくりした。ぼくはその時、知らないぼくに出会ったのだ。そこには枯れたバラの写真が数枚あった。
昼過ぎ、某F少年から、あの本を借りた。そして
ぼくは、ぼくの知らないぼくに出会えるだろうか。
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