of blue

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某珈琲店の棚には売り物が並んでいる。
欲しいものがあったら買ってもいい。
その棚に、ほうろうポットという商品が並んでいる。
色は、赤と青と白の三色。
一番売れるのが赤で、次が白だ。青はさっぱり売れない。
ぼくだったら、ぜったい青を買う。

頭で鳴り響くファンファーレ

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村上春樹の某小説を読んでると、某作曲家のシンフォニエッタという曲を聞いてみたくなった。もちろん、その時ぼくはそんなCDを持ってなかったので、youtubeで聞いた。冒頭のファンファーレとティンパニが強く印象に残った。某F少年がそのCDを購入し、先日持ってきてくれた。以来、毎日聞いている。一日一回は聞かないと落ち着かない。そして今も、あの独特のファンファーレが頭の中で鳴っている。

曽木発電所跡

予定では宮崎に行ってモアイ像などを見てくるつもりであったが、ネットで調べていたらだんだん面倒くさくなってきたので、次回に回すことにした。と、いうわけで、ヨッパライ某にどこに行きたいかきいてみると、大口の曽木の滝に行きたい、という。大口には何度も行っているが、曽木の滝には行ったことがない。と、いうわけで、ポットにコーヒーを詰め、進路を北にとった。山を越え、北に向かって2時間ほど走り、右に曲がって左に曲がって長い橋を渡ると、そこが曽木の滝だった。鹿児島の北極と呼ばれるだけあって、かなり涼しい。ちなみに曽木の滝は東洋のナイアガラと呼ばれているそうだ。

曽木の滝公園を一周したあと、ぼくは以前から気になっていた曽木発電所遺構に行ってみた。今は8月なので、その姿が見れるはず。
曽木発電所遺構とは…
鹿児島県伊佐市のHPに次のように書かれている。
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曽木の滝の1.5キロメートル下流に、今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は明治 42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のもので、水俣のチッソなどにも送電を行っていました。昭和40年に鶴田ダムの完成とともに水没することになりましたが、現在では渇水期の5~9月頃に中世のヨーロッパの居城後を思わせるレンガ造りの建物が姿をあらわします。その時期以外は大鶴湖の湖底に沈み、存在をも忘れさせます。また、周辺にはヘッドタンクやずい道跡なども残っており、土木遺産として貴重なものとなっています。創始者の野口遵は近代化学工業の父とも言われ、経済人としても活躍をしました。
————— ここまで —————
(右上の水没中の写真は伊佐市のHPより転載)
10月になったら、湖底に沈んだ姿を見に行こうと思う。

対岸の展望所より撮影。
なお、曽木発電所跡は現在整備工事中のため、現場に近づくことはできないようです。

動物たちのサマーナイト

昨夜は恒例の某サマーナイト花火大会だったそうだ。店を閉めて帰ろうとすると、ズシーン、ドカーンと、まるでゴジラが天文館で暴れてるような派手な地響きが店を揺さぶった。ぼくはゴジラに襲われぬよう、早々に帰路に就いた。それにしても凄まじい重低音。ぼくたち人間は、その原因が花火だってことを知ってるからいいけれど、それが分からぬ動物や魚たちにとって、昨夜は恐ろしいサマーナイトだっただろうな。そんなわけで、ゴジラは来年あたり南下するらしい、というウワサがチラホラ。

夏の夜

ぼくはだいたい夜中の12時ころ風呂にはいる。風呂から上がると、パンツ一枚で、ビール片手に屋上に上がる。夜風が涼しくて、とても気持ちが良い。女性はそういうわけにはいかんだろうけどね。
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予感が当たる夜

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わが家でスイカを好んで食べるのはぼくだけだ。
「ビールは要らないから、スイカを買ってきてくれ」
と、ぼくは家人に言う。ビールもスイカも、という勇気はない。
ぼく一人しか食べないから、カットしてあるのを買ってきてもらう。
今の相場だと、四分の一にカットしたものが400円くらい。
「今日のはとっても安かったよ。298円が、その半額!!」
ぼくはイヤな予感がした。

ま、いいさ

海に泳ぎに行った。
スイカを食べた。
セミが鳴いていた。
水まきをした。
かき氷を食べた。
花火もした。
バーベキューもした。
でも、ぼくと友達は珈琲を飲みながらこんな会話を交わしている。
夏なのに夏は来なかったね。
ま、いいさ
こういう夏もある。