
書を捨て、町に出よう。
うん、それいいね。
パソコンを閉じ、野へ出よう。
ああ、なるほど。
夜も遅いし、今日はひとまず寝ることにしよう。
俺に訊け
昼過ぎ、いつもの豆腐屋がやってきた。そして
「うちもレジを置いたよ」
と、うれしそうにいった。
レジとは、お金を入れるレジスターのことである。
「なんだ、おまえのところはレジもなかったのか」
ぼくが驚いていると
「でもさー、使い方が分からなくて」
そうか、使い方が分からないのか。ぼくはうれしくなった。
大きな声で言えないが、実はぼくもよく分からないのだ。
「で、何が分からないんだ」ぼくはえらそうにいった。
豆腐屋はレジのボタンを指差しながら、
「これを押して、次はこれだよね」と、自信なさげにいう。
やれやれ、おまえはこんなことも分からんのか、という態度でぼくは知ってることを適当に教えてやった。
豆腐屋は尊敬のまなざしでぼくを見ていた。
ぼくは満足だった。人に教えるのは実に気持ちがよい。
アカシアの雨
二つの夢
ランゲルハンス島の春
ランゲルハンス島に春の風が吹き始めるころ、ぼくのアタマは決まってぼんやりしてくる。ランゲルハンス島の砂浜に開いた無数の穴から、数え切れないほどのシオマネキが這いだしてくるからだ。
海辺を歩く
日曜日の歌
メガネ
新しく作ったメガネを今日かけてみた。みちがえるほど世界が明るい。なんのことはない、今までかけてたメガネには色が入っていたのだ。先入観や感情にとらわれて人を見ることを、色メガネで見る、という。でも人は先入観なしで物を見ることはできない。知らないものを認めることは不可能なのだ。こんな歌がある。「おさなごの、しだいしだいに知恵づきて、仏に遠くなるぞ悲しき」おそらく、多くの人は勉学を積むことでモノが見えるようになると信じている。でも、その努力は目的とは裏腹に色メガネを濃くする方向に働くかもしれない。
ぼくの欲しいものはなんですか
そのむかしナマロクが流行ったころ、ぼくは大きな電池式の録音機を肩に下げて、波の音や、虫の声を録りにいっていた。自分で録音してきた自然の音をストックして、いつでも聞きたいときに聞く。ソファに深く座り、オーディオ装置の前で目をつむると、ひぐらしの鳴く山奥の風景や、夏の砂浜に寄せては返す波の様子が目の前に忽然と現れた。今思えば、とても優雅な趣味だった。その趣味も、10年前、ときおり家のそばに飛んできていたアカショウビンの声を録音したのを最後に、やめてしまった。今は何か・・・たとえば波の音を録音したい、という気持ちは立ち上がってこない。同じく鳥の声も。数年前から、また写真撮影に懲りだしたが、撮ってみて残念に思うのは、ずいぶんへたくそになってしまったこと。むかし撮った写真には、嫉妬を覚えるほど生々しいものが感じられる。たぶん、撮りたいという欲望が強かったのだろう。翻って今、ぼくが欲しいものはなんだろう。情けないことに、今それが分からない。それが見つかった時、いい写真が撮れるような気がするし、いい音が録れるような気がする。

エルカセットデンスケ
EL-D8
25Hz~22kHz ±3dB(Type-IIデュアド)
ワウ・フラッター 0.04%
332×100×298mm
5.8kg(乾電池含む)






