今日の晩飯

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ギョーザは手作りに限るね。有名店のギョーザはもちろんうまいけど、なぜかたくさん食べることができない。これが手作りだと、いくらでも口に入る。ほんとに不思議だな。見た目は不恰好だけどね。

歩いてきた人

古い写真を整理してたらウォークマンの取扱説明書が出てきた。1979年に出た初代ウォークマン。ぼくがウォークマンを聞きながら歩いてたころ生まれた人が、今やもう30歳。ぼくもずいぶん人生を歩いてきたもんだ。
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いっしょに食おう

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いろんなところで一緒にメシを食う。
友達でも親子でも夫婦でもネコでも恋人でも。
自分で作った弁当を近くの公園で食べるのもいいね。二人なら。
歩きまわるハトなんか見ながら。
ちなみに、ぼくの作った弁当、ケッコウいけるんだよね。
ニッスイの魚肉ハンバーグとか入ってるんだけどね。

108分の1

さっき、お年玉付き年賀はがきの当否をチェックしたら、108枚のうち当たったのは1枚だけ。毎年だいたい4枚は当たるのだけど。
ま、運なんてもんはチビチビ使っちゃいけないんだよね。
大きなことにドンと使わなきゃ。は、は、は

不思議なドラゴンとの出会い

昨夜は前から気になっていたことをネットで調べていた。気になっていたこととは単眼立体視のことで、つまり、片目で立体視は可能か、という問題。某3D映画を見てふいに思い出したのだった。調べてみるとなかなか興味深い記事が多く、とても楽しめた。その中に不思議なペーパークラフトのビデオを紹介した記事があり、目を引いたので、その展開図をダウンロードしておいた。

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そして今日、たまたま当ブログのサーバー、SYNAPSEのスタッフブログを見てみたら、同じペーパークラフトの記事が挙がっていてビックリ。ぼくは先日見た某3D映画がきっかけになって立体視を調べはじめ、この不思議なペーパークラフトに出会ったのだけど、SYNAPSEのスタッフの方の場合、鹿児島市立科学館で催されたトリックアート展がきっかけになったとのこと。ほぼ同じ日に別のアプローチから同じドラゴンに出会うなんて、ちょっと不思議。かも
※念のために説明しておきますけど、ビデオのドラゴン、頭は体に固定されており、首を振ることはできません。頭がプルプル震えるのは薄いコピー用紙で作ったためです(笑)

朝日のあたる空家

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この家に住んでいたおじさんは、毎朝この赤い門の前に立ち、ふんどし姿で体操をしていた。15年以上前のことだけど、今でもその様子をありありと思い浮かべることができる。おじさんが世を去って、家は空き家になった。近々この家は壊されて駐車場になるらしい。

3Dメガネ

昨夜は某駅ビルで某3D映画を見た。かなりの人気映画らしく、上映時間になるとほとんどの席が埋まってしまった。ぼくは3D映画初体験だったので、入り口で配られたプラスチックのメガネが珍しく、着席するなり、どんな仕掛けになってんだろ~、と、矯めつ眇めつ眺めまわした。偏光フィルタに違いないと思い、同伴者のメガネと重ねて回してみるけど、明るさは変化しない。うーん、わからん、ギブアップ。映画が始まった。で、その効果だけど、ぼく的には、まあこんなもんでしょう、という程度。上映開始と同時にスクリーンが忽然と消え、映像世界とリアル世界が渾然一体となって、わお~、おったまげ~、しぬ~、みたいなことは起きなかった。ぼくがニブイせいかも。でも、オーディオの世界だと、優秀な装置を使えば再生と同時に左右のスピーカーが消え、そこに別空間が出現する。ま、オーディオとビジュアルではその情報量に圧倒的な差があるわけですけどね。で、本題の3Dメガネ。家に帰ってネットで調べてみたら、現行の3Dには、円偏光フィルター方式、アクティブシャッター方式、分光方式の三つがあり、今回の映画は3番目の分光方式(Dolby 3D)だったことが分かった。その解説を読んでみたんですが、かなり面倒な方式で、ぼくの2Dな頭脳では読んで理解するのに時間がかかりそうなのでやめました。ちなみにこのメガネ、1万円もするそうです。

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じゅうたんの記憶

家を新築した時、玄関にじゅうたんを敷いた。高段数のペルシャ段通で、けっこう値の張るものだった。今から15年前のことだ。そのときぼくは日記にこう書いている。かなり長い文なので、その最後のほうだけ書いてみる。
…玄関といえば私と妹とその両親が北九州の港の近くに住んでいたころ、その薄暗い玄関には大きな風景画がかかっていた。私が小さかったから大きく感じたのかもしれないけれど。そしてそこにはやはりじゅうたんが敷かれていた。私は四歳だった。母が私に地球がまるいことを一生懸命わからせようとしていたのもこのころだった。一方父はこのじゅうたんがとても良いものなのだといつも自慢していた。その時の笑顔が私の記憶の中ではもっとも父親らしく見える。ただし、それがペルシャじゅうたんだったかどうかはわからないし、いまさら聞こうとも思わない。古い記憶をいじくりまわすときっと壊れてしまう。それから数十年経って、女房は子供に地球がまるいことを教えたし、私は暗い玄関にじゅうたんを敷いた。そしていつかお金がたまったら大きな風景画をそこにかけようと考えている。
どうでもいい内容なのだが、さっきこれを読んでいて驚いてしまった。だからこうして書きとめている。この日記に描かれている、薄暗い玄関の風景画やじゅうたん、そして父の自慢話の記憶が、今では完璧に消えてしまっているのだ。さっきこの日記を読みながら、え?ウソだろ? と、思わずつぶやいてしまった。今、いくら記憶を探っても、昔住んでいた家の玄関の風景は浮かんでこない。そんな記憶はどこにもない。日記に書いてるとおりのことが起こったようだ。「古い記憶をいじくりまわすときっと壊れてしまう」のである。

メンタムの思い出

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手が荒れた時にメンソレータムを塗るようになった。以前は手が荒れても放っておいたのだけど、昨年暮れ、指の怪我に塗るついでに手全体に擦り込んだところ、手荒れがけっこう治まったので、以来、マメに塗るようになった。メンソレータムは怪我をしたときに塗る薬だと思っていた。子供のころ、ぼくは外で遊んで毎日のように怪我をしていた。そのころの子供は皆そうだったと思う。怪我をして帰ると、まず、傷口をオキシフルで消毒し、その上にメンソレータムを塗りつけていた。それが日課だった。自分でやっていたので、長く使っているうちに薬の中に血が混じり、容器の中は赤い絵の具のようになっていった。今でも容器をのぞくたびに、あの血まみれのドロドロを思い出す。