うつろなコンセント
風立ちぬ
猫に告ぐ
星
家に帰り着き、屋上に出た。夜空には薄雲が広がっていたが、その向こうで小さな星が瞬いていた。やあ、また会えたね。ぼくは君たちがいないと生きていけそうにない。
ハンドルを握れ
そう、「ふりかかった災難こそが人生のきっかけ」ということである。だれの身にも降りかかる災難は、その人がどう生きるべきか考える磁石の針のようなもので、災難は災難でも、ただそこから脱け出せればいいというものでもない。何も考えずそこをスルーしてしまうと、人生はまったく味も素っ気もないものになってしまう。つまり、災難はただの災難ではないのである。それによって初めて人生が立ち上がる契機となるもので、それなしにはすばらしい人生など存在し得ないことになる。
「生きるチカラ」とは、その人がもっとも大きなダメージを受けたときに動き出すチカラで、ほとんど機能しないほど微弱なこともあれば、それまでの人生が一変してしまうほど強力なこともある。その働きを見つめながら、生きるとはどのようなことなのか改めて考えてみたいと思ったのである。
以上、たま~に更新される植島啓司さんのコラムからの引用。なぜこれをここで引用したかというと、今日いらしたお客さんが、「大病を患い、人生観が変わった」という話をされたからだ。ぼくは数日前にこのコラムを読んでいたので、その話に何か符合するものを感じたのだった。「災難はただの災難ではないのである。それによって初めて人生が立ち上がる契機となるもので…」と、植島さんは言っている。初めて人生が立ち上がる、とはどういうことだろう。それまでの人生はなかったに等しい、ということだろうか。ずいぶん前のことだけど、ある夜、ぼくの娘がその弟に説教をたれているのをたまたま耳にした。何があったのかは知らないが、たしか、「他人の人生を生きるんじゃない、自分の人生を生きなさい」みたいな内容だった。娘から見ると、どうやら息子は他人の人生を生きているらしいのだった。まるで他人の運転する車に乗せてもらって気楽な旅を続けている人のように。しかしそこに思わぬ災難が降りかかるのである。ある日、車は急峻な崖に面した細い下り坂を走っていた。と、突然車のブレーキが利かなくなり、頼りの運転手は失神してしまう。さあ、ハンドルを握るのはあなたしかいない。
















