秋にしては暑かった

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たまには海に行くことにした
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海の近くの食堂で、秋太郎三色丼というのを食べた
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食堂のそばではサーファーたちが楽しそうに遊んでいた
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海の近くの神社に行ってみた。すると、迫力のあるクリーチャーに遭遇した
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ゴゴゴゴゴ・・・
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フッ
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ニャロメー
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クロスオーバー5時半

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今日も一日が通り過ぎていきます
昼のあわただしさの中で忘れていた
人を愛する優しさ
人を信じるぬくもりを
そっとひろげてみます
夜空の星のきらめきとともに
それぞれの想いをのせて過ぎていく
このひととき
今日一日のエピローグ
クロスオーバー・5時半

いつかはペリカン

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思いつくままノートに書くようになって早2週間。この習慣化は久々のヒットであった。驚いたのはパソコン慣れで書けなくなった漢字が次第に書けるようになってきたこと。忘れた漢字を頭で思い出して書こうとしても出てこない。でも、ノートに書いていると手が覚えているらしく、いつのまにか書けるようになる。ボールペンではなく、万年筆を選んだのも良かったようだ。オーディオマニアならわかると思うけど、むかし、レコードをかけるのは儀式のようなものであった。レコード盤をそっとジャケットから取り出し、厳かにターンテーブルに載せ、心を鎮めて針を降ろす。CDやiPodを神妙な顔をして操作する人はまずいない。あれは家電のリモコンと変わらない。というわけで、万年筆を使うことで、書くという作業を趣味の領域に近づけようと試みているのであった。なんちゃって。ちなみに今日書いたノートから拾ってみると、ドストエフスキーはかつて「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と言った。などと書いてある。ノートと万年筆だと臆面もなくこんな事を書いてしまうから怖い。なんだか青春しているみたいだ。ちなみに、フランクルの夜と霧からの抜粋

夢の途中

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映画ブレードランナーに、こんなシーンがあった。アンドロイド製作技術者が家に帰ると、小さなロボットが彼を出迎えてくれる。彼の孤独がいっそう際立って、なんだか悲しかったな

cosmos

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休みだったので山頂の某宇宙人基地に行ってみた
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森の中には不時着した宇宙カプセルがあいかわらず転がっていた
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基地に飾ってある宇宙人たちの肖像画
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宇宙人は目を開けたまま眠っていた
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君、どうしたんだ、傷は浅いぞ!ぼくは床に倒れている宇宙人を発見し、思わず駆け寄ったがピクリともしなかった
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彼らの生活様式には理解し難いものがある
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昼になったので基地を脱出し、芝生の上で持参した弁当を広げた
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木陰でうとうとしていたら、どこからか宇宙人がやってきた
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死んだふりをしているとどこかに行ってしまった
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帰り道の途中、道路わきの畑にひまわりが咲いていた
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東の空

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                       アルデバラン
                月
        木星
FMアンテナ
  灰  灰 灰
    灰 灰 灰 灰 灰 灰 灰
                   桜島
      丘丘丘丘ーーーーーーーーーーー丘丘丘丘

フール・オン・ザ・ヒル

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某小説家の短編にプールサイドというのがあって、主人公は人生の折り返し点を35歳とする。彼は振り返り、顧みて、初めて人生の渇きを覚えるのだが。
人生に折り返し点があるようには思えないのだけど、そのような人生上の「点」について一言いうなら、突然霧が晴れるように視界が開ける小高い丘のような「点」はある、と、最近思う。