寒くなったら、急に元気になってきた
昨年12月13日。お客さんからいただいた時の写真。水だけやって、窓際にほったらかし。光と水だけで一年過ごしたタフなヤツ。明日、肥料をやることにしよう。もしかすると花が咲くかもしれないから
今日はせっかくの休日であったが、車の5000キロ点検に行かねばならなかった。点検ついでにオイルとエレメントも交換した。待ち時間の間に、試乗車に乗ってみた。ミッドシップのスポーツ車。エンジンが後ろにあるので、振動が背中に伝わってきて、マッサージ椅子に座った気分だった。いつかお金持ちになったら買うかもしれない
近くの公園に行ってみた。幼いころ、この橋の下でよく遊んだものだ。父は、お前はこの橋の下でひろって来たのだよ、と、何度もぼくに教えてくれた
火山を右手に見ながら海沿いの道を北に走り、バイパス横の、むつかしい名前のイタリアレストランに入って昼食にした。ワンプレートランチ、というのを注文したが、とてもおいしかった
日本一大きな木が生えているという神社に寄ってみた。イチョウがいい色に染まっていて、なかなか絵になる風景だった
池の近くにある山に登ってみた。ここの雑木林は、この時期に歩くと靴が埋まるほど落葉していて、季節感たっぷり。大好きな場所だ
今日は歩いて階段を上ったので血を見ることはなかった。なお、三日月の暗い部分が仄かに光っているのは地球からの反射光によるもの(地球照)
昨日に引き続き、カレンダーの窓を開けました。たぶんこれはダ・ヴィンチの絵などで有名な「受胎告知」の場面
ルカ1章26節~
1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
今日から12月。というわけで、棚の奥からほこりをかぶった箱を引きずりだし、中で寝ていたトナカイ君とサンタ爺さんを起こしました
旅行から帰ってきたお客さんからいただいたアドベントカレンダーも壁に貼りました。ドイツ製だそうです
ご存知かもしれませんが、このカレンダーには仕掛けがあって、日にちが記された窓を開けると中から絵が現れます
出てきたのはひげの爺さん。もしかして預言者イザヤ?。窓の裏にはイザヤ書9章2節が。
「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」
最終日、25日の窓はかなりでっかい。開けるのが楽しみ。wikipediaによれば、ふつう24個の窓が付いているそうですが、このカレンダーは25個付いてました。ついてるなぁ
なにかのはずみで宇多田ヒカルの人魚が頭でループしだした。変な曲がループするよりマシだけど。今夜はもう寝ます
昨日、コーヒーを飲んでいたお客さんが、このまえ手塚治虫の特集番組をやっていたのだけど、とてもおもしろかったよ、とおっしゃった。たぶんそれは「100分DE手塚治虫」という番組のことだろう。実はぼくも興味を持って録画したのだけど、まだ見ていなかった。というわけで昨晩、久しぶりにテレビの前に陣取った。なかなかおもしろかった。特に、手塚の作品はストーリーが先で、そこにキャラクターをはめ込む、という作り方だ、という話が興味深かった。以下、テレビ画面のスナップ
これを見ていて、フランクルの「夜と霧」の一節を思い出した。以下、本文より抜粋
「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。 わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、 生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、 絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、 わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。 生きることは日々、そして時事刻々、問いかけてくる。 わたしたちはその問いに答えを迫られている。 考えこんだり言辞を弄することによってではなく、 ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。 生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時事刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」
同じことをフランクルは「死と愛」では次のように述べている。
「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」
手塚治虫が生み出した物語は、その登場人物に、その物語の意味を問い、具体的な答えを求めつづける。これはフランクルのいう人生の意義と同じ構図にみえる