そろそろ古い日本人

昼前、この辺りじゃ見かけない女の子がぞろぞろ店に入ってきた。おそらく隣国のツアー客。ここは喫茶店じゃないよ、コーヒー豆を売る店だよ、と言うと、それでいいの、とホットパンツのきれいな子が答えた。おすすめのコーヒーは?というので、人気のコーヒーをいくつか挙げると、それでいい、豆のままで。という。どこから来たの?と聞くと、ホンコンから、と。思わず、ジャッキーチェンがいるあそこ? と言うと、一同、そうそう、といって笑い始めた。言った後で思った。ジャッキーチェンって、まだ生きているんだろうか。彼女らにはちと古過ぎたかな

スイカの匂い

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そのむかし、キュウリは夏を代表する野菜だった。キュウリが好きな人は夏が待ち遠しかった。そんなささやかな楽しみも今はない

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一方、いうまでもなくスイカは夏の食べ物だ。なにせ原産国はゾウやシマウマがうれしそうに走り回っている、あの熱帯アフリカ。サハラ砂漠には見たこともない巨大なスイカがあちこちに転がっているという(信じないでください)

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夏の楽しみは数え切れないほどあるが、例えば今日みたいな蒸し暑い夜に冷えたスイカを包丁で割る、という、どこか儀式めいた遊びもその一つ。包丁を入れる。その外観からは想像できない、鮮やかな赤が飛び出す。デュシャン→ウォーホル的芸術がふいにデジャビュするアーティスティックな瞬間(なんのこっちゃ)

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しかし、肝心なのはややこしい芸術論ではない。ただ、目の前のスイカをおいしく食べる。それだけ。エランヴィタール。そこだよキミ

台風一過はカキ氷

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今日は父を病院に連れて行く日だった。なにかの検査だったが、特に問題もなく、予想外に早く終わったので、海の近くでスシでも食おう、ということになった

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台風が去った海は波がまだ高く、サーファーたちが波に乗って楽しんでいた。後で知ったのだが、食事代は父が出したそうだ。そうと知ってたら、もっと高い寿司屋に行くんだったのに

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父を家に送り届け、自宅に帰ると、時計はまだ2時を少し回ったところだった。カキ氷でも食いたいね、ということで、港町にある某ジャズ喫茶にシロクマを食べに行くことにした。たしか、月に一度、月曜が休みだったはずだが、まさか今日ってことはないだろう

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しかし、行ってみると店のドアに「定休日」の看板。ぼくは大急ぎで脳内のデータベースをサーチし、近くでカキ氷をやってそうな店をピックアップ。同時に車をターンさせてベーグルで有名なあの店に進路をとった。山の途中にある風通しのいい店内はクーラーなどなく、カキ氷を食べるには最高の様態といえた。ヨッパライ某はお茶とセットになったナントカというカキ氷、ぼくはマンゴーのカキ氷に炙ったベーグルを付けてもらった

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夜の訪問者

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台風が来る、つーので、夕食後、庭に転がっている鉢や道具などを片づけた。終了後、家に入ろうとすると、玄関の前で小さな訪問者が待っていた。クワガタの雌だろうと思って拾い上げたら、コクワガタだった。冷蔵庫にスイカかメロンがあったら、しばらく飼おうと思ったけど、なかったので、ちょっと遊んだ後、庭に放した

浜辺のように

ある本を読んでたら、次のようなくだりに出くわし、ため息が出た。やれやれ、まったくその通り、この年になってやっと気づくなんて

頭に起きたこうした無意識の波が、意識の白い、滑らかな砂の上に偶然にどんな宝を、どんなに見事に磨きあげられた小石を、或いは海の底にあるどんな珍しい貝を投げ出すか解らない。ほら貝、つめた貝、或いはたこぶねさえもが打ち上げられるかもしれない。しかし、それをこっちから探そうとしてはならないし、ましてそれが欲しさに砂を掘り返したりすることは許されない。海の底を網で漁るようなことをするのはここでは禁物で、そういうやり方で目的を達することはできない。海はもの欲しげなものや、欲張りや、焦っているものには何も与えなくて、地面を掘りくり返して宝ものを探すというのはせっかちであり、欲張りであるのみならず、信仰がないことを示す。忍耐が第一であることを海は我々に教える。忍耐と信仰である。我々は海からの贈り物を待ちながら、浜辺も同様に空虚なってそこに横たわっていなければならない。

アン・モロウ・リンドバーグ(著) 海からの贈物 より抜粋

白い一日

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いつもはいくら暑くてもエアコンなしで車を走らせるのだけど、あまりに暑いので窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。車外の気温は場所によっては36度を示していた。1時を回ったころ、海の見える食堂に車を止め、魚料理を食べた

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予報では晴れだったが、地表に靄がかかり、青空はほとんど見えなかった

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カラスウリの花が満開

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独特の風情がある。庭に植えてみたい気もする

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アンポンタンソフトクリーム。ほんのり苦みがあって、おいしかった。写真を撮っているうちにみるみる溶けて、手がべとべと

夏なのに その2

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悲しいニュースが入ってきた。

— 森永乳業のロングセラーアイス商品「ダブルソーダ」の販売が終了した。1983年の発売以来、手頃な価格と変わらぬ味で幅広い世代から人気を集めてきたアイスバーが、34年の歴史に幕を閉じた —

上の写真は4年前の夏に撮ったもの。まさか無くなるなんて。信じられない

ピカピカにしてあげる

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それにしても暑いですな。夏って、こんなに暑かったっけ。まあ、寒いのよりはずっといいけどね。というわけで、この一番暑いときに、恒例の大掃除が始まるのであります。例の機械を分解し、掃除して、また組み立て直す。新品同様、ってところまではいかないけど、見えないところもピカピカ。ぼくの体も時々分解し、きれいに掃除して組み立て直すことができたらいいのに。女の子が振り向くくらいピカピカにね

限りなく透明に近いボクに

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日野原重明さんの「生き方上手」という本を読んでたら、次のようなエピソードがでてきて、なるほどな、と思った。希望というのは、こういうことなのかもしれない。知ること、分かることで自分が次第に透明化していくこと。

禅の大家であり長年アメリカに住んでいらした鈴木大拙師の主治医を、私は先生が90歳のときからご臨終までの6年間務めました。先生は80代半ばに帰国される際、岡村美穂子さんという20代の日系二世の秘書を伴われましたが、ある日、岡村さんにこうおっしゃいました。
「きみ、長生きはしたまえよ。90歳にならないとわからないことがあるからね」と。