walkman

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昨日はずいぶん歩き回った。おかげでぐっすり眠れた。カメラを手にしていると、たぶん、どこまでも歩ける。山を越え、海沿いを歩き、国境を越える。ぼくはカメラの奴隷だ。良いご主人に仕えるなら奴隷もそう悪くない。というわけで、さっき、カメラのレンズを注文した

紅葉はもう少しだった

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今週末、某ナイアガラの滝で、もみじ祭り、つーのがある、つーので、行ってみた

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月曜日だというのに、たくさん人がいた

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どんよりした冬空の下、水がザーザー流れるのを見るのは…寒い

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いつものように発電所を見に行った。ヨッパライ某は林の中で角の生えた大きな鹿に遭遇したといって騒いでいた

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山の上の湖にも行ってみた。ここはひっそりしていた

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大きな木で有名な神社に寄って帰った

寒い夜の踏切の音

屋上に出て夜空を眺めていたら、北の方から踏切の音が聞こえてきた。耳を澄ますと、それはだんだん小さくなり、また大きくなった。鉄道線路はずいぶん遠くにあるので、こんなにはっきり聞こえるはずがないのに、と思っていたら、列車の警笛とともに走行音も聞こえてきた。間違いなく踏切の音だ。地図で最寄りの踏切を探してみると、ここから2.4km北にあることが分かった。寒い静かな夜には、遠くの音がよく聞こえる。

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勇気があれば

寒くなったせいで、朝、ベッドから出られない。会社員じゃないので仮病を使って会社を休むこともできない。相当な勇気を奮い起こし、布団をはね上げ、その勢いでベッドから抜け出す。起きてすぐに疲れてしまう

フェティシズムの冬

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憂うつな冬をどうくぐり抜けていくか。手軽な方法その1。なにか欲しいものを見つけ、それを手に入れる。少し幸せになって、今が冬であることをしばし忘れることができる。というわけで今、カメラのレンズを物色しているのだけど、経験上、持ち物が増えると、また悩みも増える。身軽になりたいのに、また重くなる

Golden Slumbers

一日のうちで一番好きな時間。それは、一日が終わろうとする、この時間。
昼間、ぼくを動かしていた、いろんな働き手が、疲れてうたた寝を始める。
おやすみ、今日、働いた自分たち。
眠りに就こうとするぼくに、ぼくは子守唄を歌ってあげる。
ぼくの大好きな時間。ぼくの時間

くもり空

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午前中は晴れていたが、だんだん雲が出てきた。どこかで飯を食おう、ということで、ポットにコーヒーを詰め、テキトーに車を発進させた

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車は南に向かって走っていた。昨夜見た映画がさっぱりわからない、というヨッパライ某に、ぼくはレプリカントとは何か、という話を始めた。すると、カズオ・イシグロの、わたしを離さないで、の主人公たちと境遇が似ているね。今、帚木蓬生のヒトラーの防具、という本を読んでいるんだけど、そこでも同じ問題を扱ってるよ、と文学少女らしい意見を言った

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山の上の公園に寄って、あまり色づいていないイチョウやカエデの写真を撮り、山を下って海の近くの食堂に行った

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雨に濡れた堤防をのろのろ歩き、灯台の近くに行った。釣りをしている人が何人かいて、小さなアジが釣れていた

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たまには自撮り写真でも

未来のことは誰にもわからない

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7時過ぎ、最後のお客さんを見送った後、店を閉め、人通りの少ない暗い道を駅に向かって歩いた。夜景のきれいな窓際の席で夕食を食べ、いい気分で映画館に入った。目的の映画には一番座席数の多いシアターが充てられていた。だれもいない広い館内を座席に向かって階段を上る。だれも来ない。しばらくして数人ほど入ってきたが、ほとんど貸し切り状態。もちろん、その方が快適なのだけど、なんだか寂しい。この近未来を描いた大作SF映画は人気がないのだろうか。映画を見終わっての帰り、ネオンが煌めく細い道を歩きながら、恐る恐る同伴者に感想を聞いてみた。すると彼女は言った。さっぱり分からんかった、と

Indian summer

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早川書房 海外SFセール【50%OFF多数】(電子書籍、11/20まで)というのをやっていたので、とりあえず一つダウンロード。手に入れたのは一昨年、新訳で出たスタニスワフ・レムの「ソラリス」。ポーランド語オリジナルからの全訳。解説によると、1965年訳の「ソラリスの陽のもとに」はロシア語訳を底本とした重訳であるため、ポーランド語の言語の表現から微妙にずれている箇所が多く、検閲によって削除された部分がかなりある、のだという。以前この作品を読んだときには、切なく名状しがたい感動を覚えたのだった。人間とは何か、という問いは、こういう風に立てることもできるんだ、と作者が言ってるように思えた。でも、後になって、作者の意図は少し違うらしい、と思うようになった。というのは、タルコフスキーとソダバーグがそれぞれ映画化した時、レムは、意図したものとまるで違う、と言って怒りをぶちまけていたから。タルコフスキーのソラリスは大好きな映画なので、レムがタルコフスキーに、「あんたはバカだ」と言って喧嘩別れをした、という話を知った時は、ちょっとショックだった。主題に対するタルコフスキーの解釈が哲学、宗教的で気に入っていたからだと思う。今回、オリジナルからの全訳を読み進めるうちに、そのディテールの向こうに展開する世界観が今までの印象とは異なっていることに気づいて、新たな感動を味わえるのではないか、と期待しているのです