浜辺のように

ある本を読んでたら、次のようなくだりに出くわし、ため息が出た。やれやれ、まったくその通り、この年になってやっと気づくなんて

頭に起きたこうした無意識の波が、意識の白い、滑らかな砂の上に偶然にどんな宝を、どんなに見事に磨きあげられた小石を、或いは海の底にあるどんな珍しい貝を投げ出すか解らない。ほら貝、つめた貝、或いはたこぶねさえもが打ち上げられるかもしれない。しかし、それをこっちから探そうとしてはならないし、ましてそれが欲しさに砂を掘り返したりすることは許されない。海の底を網で漁るようなことをするのはここでは禁物で、そういうやり方で目的を達することはできない。海はもの欲しげなものや、欲張りや、焦っているものには何も与えなくて、地面を掘りくり返して宝ものを探すというのはせっかちであり、欲張りであるのみならず、信仰がないことを示す。忍耐が第一であることを海は我々に教える。忍耐と信仰である。我々は海からの贈り物を待ちながら、浜辺も同様に空虚なってそこに横たわっていなければならない。

アン・モロウ・リンドバーグ(著) 海からの贈物 より抜粋

夏なのに その2

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悲しいニュースが入ってきた。

— 森永乳業のロングセラーアイス商品「ダブルソーダ」の販売が終了した。1983年の発売以来、手頃な価格と変わらぬ味で幅広い世代から人気を集めてきたアイスバーが、34年の歴史に幕を閉じた —

上の写真は4年前の夏に撮ったもの。まさか無くなるなんて。信じられない

ピカピカにしてあげる

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それにしても暑いですな。夏って、こんなに暑かったっけ。まあ、寒いのよりはずっといいけどね。というわけで、この一番暑いときに、恒例の大掃除が始まるのであります。例の機械を分解し、掃除して、また組み立て直す。新品同様、ってところまではいかないけど、見えないところもピカピカ。ぼくの体も時々分解し、きれいに掃除して組み立て直すことができたらいいのに。女の子が振り向くくらいピカピカにね

限りなく透明に近いボクに

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日野原重明さんの「生き方上手」という本を読んでたら、次のようなエピソードがでてきて、なるほどな、と思った。希望というのは、こういうことなのかもしれない。知ること、分かることで自分が次第に透明化していくこと。

禅の大家であり長年アメリカに住んでいらした鈴木大拙師の主治医を、私は先生が90歳のときからご臨終までの6年間務めました。先生は80代半ばに帰国される際、岡村美穂子さんという20代の日系二世の秘書を伴われましたが、ある日、岡村さんにこうおっしゃいました。
「きみ、長生きはしたまえよ。90歳にならないとわからないことがあるからね」と。

熱帯夜

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蒸暑い夜 → 氷の浮かんだ琥珀色の水が飲みたくなる →

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→ できたら涼しげな音楽があるといい。音が良ければもっといい

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→ というわけで、いつの間にか、いつものジャズ喫茶のカウンターに座っている →

ゲゲゲ

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夜、屋上で星を眺めながら涼んでいたら、ゲゲゲ、という、ケモノの声が聞こえてきた。家の前に畑があるので、きっとタヌキかアナグマが発情して変な声を出しているんだろう、と思った。ゲゲゲはすごいスピードで移動しており、こちらに向かってくる。ぼくは家の屋上にいるので、当然、ヤツはここに来ることはできない。次の瞬間、ぼくのすぐ右横を大音量のゲゲゲ声が通り過ぎて行った。姿は見えなかった。ものすごくびっくりした