眠い人との対話は退屈だが、眠い自分を観察するのは意外と面白い。今がそう。16bitのWindowsを思い出させる。長い時間稼働させていると、リソースが不足しています、とかいうメッセージが出て、勝手にフリーズする。まるで、疲れたから寝る、みたいな感じで。というわけで、おやすみ
エプロン
ヨッパライ某がダウンしたので、夕食後、エプロンを付けて食器を洗ったり、米を研いだりする。なぜだろう、こんなたわい無い作業が深い充実感を醸し出す。ちょっと大げさだけど、しあわせ、を感じる。与えられた時間を正しく有効に使っている実感、確信、みたいな。でも、「じゃあ毎日やってよ」と言われたら困る
星空
体の疲れは、家に帰り、温かい食事をとって寝れば取れるのだけど、頭の疲れはそう簡単に取れない。動物とは違い、人は体だけではなく頭や心も疲れてしまう。そんな夜、もし星が見えるのなら、星空を眺めるといいことがあるかもしれない。リンドバーグ夫人もそう言っている。
私たちは寝る前に、もう一度星空の下に出て行って、浜辺を歩いた。そして歩き疲れると、砂の上に仰向けに寝そべって空を見上げ、空の広さに私たちも拡がって行くような感じになった。星は私たちの中に流れ込んできて、私たちは星で一杯になった。私たちはこれが欲しかったのだ、ということが解った。昼間の仕事や、こまごましたことや、親密な感情や、心から話し合えたことさえもが与える狭苦しい気持ちの後では、波のように自分の胸に流れ込んでくる星で一杯の夜というものの大きさと普遍性が欲しくなるものなのである。
アン・モロウ・リンドバーグ(著) 海からの贈物 より
コバルトの季節
おいしそうな
アスファルト
そんな夜
なぜかこの歌がずっとループしている。そんな夜。
あなたが言い出せば悲しく聞こえる。
星もまばらな夜。
なぜか遠い道
Are You Ready
年をとるって、どういうことなんだろう。ただThe Endに向かって駒を進めるだけなんだろうか。
「生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉」105歳の医師、日野原重明氏が、死の直前まで語った、希望と感謝の対話20時間越。最後の力を振り絞り伝えたかった言葉とは。
うーん、表紙の写真がなんだか切ないね。「キミ、お先に失礼するよ」って感じで
以下、本文より抜粋
というのも、100歳を超えたあたりから、自分がいかに本当の自分を知らないでいたかということを感じるからです。世の中でいちばんわかっていないのは自分自身のことだ、ということに気づくことができました。これは、年をとってみないとわからない発見でした。
「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから」
80代の頃の僕が書いた言葉です。僕なりに自分自身の羅針盤を探求し生きてきたつもりでしたが、100歳を超えた今、「ああ、今まで探求してきたことはほんの一部であり、真の意味では、僕はまだまだ自分のことをまったく理解できていないのだな」と心から感じるようになりました。80歳の頃の自分がかわいかったなとさえ思います。
こういうと、これまでの人生を否定しているように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、105歳の今、未知の自分を知ることができたという気づきに価値があるのです。人生の午後が長いということは、幸せなことです。
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最近になって、ぼくもそう思うことがあります。「自分がいかに本当の自分を知らないでいるか」ということを。
そういや、こんなジョークがあったっけ。
「自分を知るには一生かかる」
なお、今日の表題はBob DylanのAre You Readyを想起したのでこうなりました(笑)
メンテナンスモード
午後から雨とのことだったので、半年くらい前から気になっていた虫歯の修理に行くことにした。虫歯といっても、全然痛くないのだけど、舌の先で触ると小さな穴が開いているのが分かる。最後に歯医者に行ったのが10年くらい前だし、そろそろメンテナンスの時期。予約の電話をすると、午後3時10分に来いという
3時までたっぷり時間があるので、車で聞く音楽の補充のためにCDレンタル屋に行って懐かしい曲を何枚か借りてきた。特に借りたかったのが沢田研二の初期の曲。カウンターのお姉さんに、沢田研二のCDが見つからないんですが、と言うと「サワダ?ケンジ?ですか?」と、生れてはじめて聞いたような顔をされた。
というわけで、今これを聞きながら書いているのですが、なんと言いましょうか、いやーー、ショウワはよかったな
許されない愛
あなただけでいい
死んでもいい
あなたへの愛
危険なふたり
胸いっぱいの悲しみ
さよならをいう気もない
勝手にしやがれ
題名も素晴らしい。額に入れて飾っておきたいくらいに