ヒーローになれなかった

朝、空港に人を迎えに行った後、山を越え、海の近くの食堂で魚フライを食べた。砂浜をぶらぶら歩きたかったのだけど、風が冷たかったのでやめた。家に帰りついたのは3時過ぎだった。まだ明るかったけどウォーキングに出かけた。遊歩道をしばらく歩いていくと、大きな木に小学生が群がって騒いでいた。見上げると、木の高いところにカバンがぶら下がっている。だれかが放り上げたのが枝に引っかかったらしい。小学生の一人が長い棒を持っていたので、貸してみろ、と、それをひったくり、背伸びをしながら棒の先でカバンを突っつくのだが、もうちょっとのところでうまくいかない。カバンが枝から外れそうになるたびに歓声が上がる。カバンが取れれば、ぼくは文句なくヒーローだ。だが、結局カバンは取れなかった。ぼくは棒を小学生に返し、カバンのぶら下がった木とその周囲にアリのように群がっている小学生たちを後にした

青い月夜

夕食後、いつものようにウォーキングに出た。いや、いつものようにではない。ポケットにウォークマン、耳にイヤホンという出立ちだ。遊歩道に月の光がさらさら降り注いでいた。夜遅いせいか歩いている人はいない。奇妙なことに、馴染んだ曲が、いつもと違って聞こえる。時空を超えて聞こえてくる、とでもいおうか・・・ふと青春時代に聞いた曲が流れてきた。ぼくは瞬く間に時間を遡り、友人たちと無心に遊んでいるころに戻っていた。めまいがして立ち止まった。涙が出そうになった

MTで行こう

いつかまたマニュアルシフトの車に乗るつもりでいたのだけど、もう無理かもしれないな。午後いらした某ジャズ喫茶のマスターも、そのあとやってきたバイク少年も、乗ってる車はマニュアルシフト。ジャズ喫茶のマスターはスポーツ走行時、ヒールアンドトゥでシフトダウンしてるんだそうだ。好きだねー。車もそうだけど、自分の物語を本気でドライブするならマニュアルシフトを選ばなくちゃ、かな

カメラをさげて

寺田寅彦の随筆に、カメラをさげて、というのがあって、こんな出だしで始まる。「このごろ時々写真機をさげて新東京風景断片の採集に出かける。技術の未熟なために失敗ばかり多くて獲物ははなはだ少ない。しかし写真をとろうという気で町を歩いていると、今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や事実が急に目に立って見えて来る。つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。」

昨日、駅ビルで昼食を食べた後、近くの古い商店街をぶらぶら歩いた。その時カメラは持っていなかったが、いつもの癖で、カメラを通した風景を同時に見ていた。昭和風情の古い喫茶店に入り、熱いコーヒーを注文した。暖房が効いてて心地よかった。なかなかいい音でジャズが流れていた。ぼくはコーヒーを一口飲んだ後、仮想のカメラを使って何枚も写真を撮った

電気犬の夢

夕食後、いつものようにウォーキングに出た。ふつう9時前に家を出る。夜が更けているせいか、歩いている人はめったにいない。たまに犬を散歩させている人とすれ違うくらい。夜、一人で歩くのはなんだか寂しい。うちにも犬がいたら連れて歩くのに、と思う。でも、途中でウ〇コしたらめんどうだな、と、考え直す。そこでひらめいた。ソニーが犬のロボットを売り出してるけど、あれならウ〇コで煩うこともない。そう遠くない未来、散歩用ロボット犬が発売されるだろうから、安かったら買うことにしよう、なんて思いつつ、この回想、ディックの近未来小説、アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の冒頭の逆バージョンだな、と思いあたって、時代は既にSFが描いていた近未来の入り口に差し掛かっているのかもしれない、という気がしたのだった

火球

夕食は鍋だった。ブタのしゃぶしゃぶ。食べ過ぎておなかが痛くなったけど、強力わかもとを9粒飲んで、いつものようにウォーキングに出た。時計は9時を回っていた。約4キロ歩き、家の近くの公園の遊具で懸垂をしていたら、夜空を真っ赤な火の玉が東に飛んで行った。どこかに落ちて、大きな音がするだろうと思い、しばらく耳を澄ましたが、何も聞こえなかった。9時50分頃だったと思う

A LONG VACATION 7日目

冬休みも今日でおわり。休日中に読むつもりで年末に購入した本。まだ半分も読めてない。休み最後の日くらい、自由に使いたいのだけど、明日からの仕事の準備で店に出勤しなきゃいけなかった。写真の本は、When breath becomes air 邦題「いま、希望を語ろう」で、全米でベストセラーを続けているノンフィクション。サブタイトルは、末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」。さて、もし誰かがにっこり笑って「あなたにとって生きる意味とはなんですか」と聞いてきたら、あなたはどう答えるだろう。訳者あとがきにこうある。

第二部の冒頭には、モンテーニュの「エセー」からの引用  人に死ぬことを教えることは生きることを教えることであろう  があるが、彼はまさしく、死にゆく自分について書くことで、私たちに生きることを教えてくれたのだ

A LONG VACATION 4日目

変な夢で目を覚まし、寝ぼけまなこで時計を見ると8時半。ちょっと早いと思ったけど、起きることにした。ズボンをはきながら時計をよく見ると、9時半だった。そうか、今日は正月か。いつもと違う朝ご飯を食べる日だ。でも作る人は海の向こう。というわけで、準備してあった雑煮キットを完成させ、炊き込みご飯と煮豆とお節料理を適当に並べてみた。食べる人はぼくと息子の二人だからこれでいいのだ。冷蔵庫にはなにやらごちゃごちゃ入っているのだけど、めんどうだし、第一、ぼくは朝ご飯を食べない

朝食を済ませ、こちらの店の大掃除に取り掛かった。半分以上は済んでいるので、半日もあれば終了しそうだ、ということで、並行してキッチンの掃除も行うことにした。換気扇を分解し、取り外した部品をグリルのバーナーや五徳と一緒に、油汚れクリーナーに浸け込む。数時間で油汚れがきれいに分離するので、その間に、店の掃除を進め、キッチンの壁や流し台、グリルの油汚れを拭きとる。作業がはかどれば、明日はドライブに出かけられるかもしれない

クリーナー液から取り出し、水ですすぐだけ。ブラシなどで擦る必要はない。油汚れのふき取りなど、キッチンの掃除に意外と時間がかかり、夕食時までに終了させることはできなかった。遅い夕食を済ませた後、いつものようにウォーキングに出た。約4キロ歩くのだけど、かなりスピードが上がってきていて、50分くらいで帰ってこれるようになった

掃除をしている合間に、パソコンのデータをバックアップ、そしてハードディスクのスキャン、デフラグ。スキャン&リペアにずいぶん時間がかかり、終了したのは夜中の3時だった