ぼくは愕然とした。人の話がよく聞き取れない。近くで話してる人の声が遠くから聞こえる。ぼくは仕事を休んで耳鼻科に行った。難聴との診断を受けた。原因はカーステレオの音量が大きすぎたためだった。その頃、通勤時間にVan Halenの5150をフルボリュームで繰り返し聞いていた。30年以上前の話。今でも思う。Van Halenを小音量で聞くなんてありえない。
読書の秋 その2
めずらしく本を読み続けている今日この頃。先日読んだ村上春樹の「一人称単数」が呼び水になったようだ。村上春樹って、こんなにおもしろかったかな、ってな感じで。というわけで、まだ読んだことがなかった、あの「ノルウェイの森」を読み始めた。しかし読み進むに従い、いつの間にか寒々とした冬の気配がぼくの周りを霧のように漂い始め、ぼくの世界の人口密度が白夜のツンドラ地帯のようになってきた。なんだかまずいところに引き寄せられている気がして、上巻を読んだところでもうやめよう、と決心した。のだったが、コーヒーを飲んでるとつい手が伸びてしまう。恐るべきダークサイドの引力。そんなわけで、いつの間にか下巻の後ろの方を開いている自分がいる。そして今、次のような会話に出合い、思わず吹き出しそうになった。
「ま、幸せになれよ。いろいろありそうだけれど、お前も相当に頑固だからなんとかうまくやれると思うよ。ひとつ忠告していいかな、俺から」
「いいですよ」
「自分に同情するな」と彼は言った。
「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
「覚えておきましょう」と僕は言った。そして我々は握手をして別れた。彼は新しい世界へ、僕は自分のぬかるみへと戻っていった。
今年の春、やっとのことで息子が専門学校を卒業し、社会に出て行った。別れの夜、彼に忠告した言葉がこれと同じだった。へえ、あんたも、たまにはいいこと言うね、と思われるかもしれないが、ちょっと違う。なぜぼくがこんなことを言ったのかというと、ぼくは息子の理想から大きく外れた残念な父親だったのが自分でもよく分かるので、それこそ親身になって息子に同情できる。父親は選べない。そこで思うに、息子もそんな自分の不運を嘆いているのは火を見るよりも明らか、自分に同情していて当然だ。しかし、自己憐憫が己の成長を大きく妨げることはよくわかっている。そこで上にあるような忠告をしたわけ。つまり、上等な忠告を装ったずるい話なのだ。なお、言い訳になるが、どこかの国にこんな名言がある。「父親になるのは簡単だが、父親たることは難しい」
今宵は満月
月夜
九月の終わりの昼下り
うす曇り
昨日の今日は昨日だった
店で弁当を食べながらネットの記事を見てたら、ヘースブックに次の記事が上がっていた。
「本日、予定されております指宿温泉祭りの花火打ち上げは、予定通り実施します」
打ち上げ場所はメディポリス指宿 敷地内、「今年日本で初めてとなる2尺玉打ち上げをお楽しみください」とのこと。
2尺玉か~。それならわが家からも見れるかも。
上の動画は先月30日、わが家の屋上から指宿某ホテルの打ち上げ花火を撮影したもの。40km先なので、とても小さく、かわいい。
仕事が終わるのが8時前なので、ぼくは見ることができない。でも花火が大好きなヨッパライ某は家にいるので見ることができる
仕事を終え、家に帰りつき、「花火はどうだった?」とヨッパライ某に聞くと、何も見えなかった、という。おかしいな、と思い、確認したら「本日予定通り打ち上げます」と書いてある記事は昨日の記事だった
井戸の底
振り子を使って水脈を見つける特殊能力を持っていたアグスティン。昔の恋人の面影を忘れることができず、愛する娘を残して死んでしまった。
駅から五分ばかり線路に沿って歩いたところには井戸掘り職人の家があった。彼は井戸を掘る天才だった。しかし、直子が十七になった秋、電車に轢かれて死んだ。
一人称単数。その何番目かにあるウィズ・ザ・ビートルズを読んでいるとき、ぼくの中の振り子がふれ始めた。それは一見、どこかの町の風景画みたいな回顧録。しかし、その町の地下には四方に伸びる水脈があり、太古の昔から生き続ける年老いた蛇が棲んでいる。ぼくは振り子を頼りに地下に潜入していく。
200万年後
夏のワンピース
予約していたコーヒーを取りにいらしたお客さんは、どこかの避暑地ですれ違った気がする夏っぽいワンピースを着ていた。そして、わたし、夏が大好きなの。このワンピース、この夏着ることができなかったので今着ているの。と言った。色は違うけど、ユーミンがコンサートで着ていた水色のワンピースによく似てますね、彼女はそれを着て「ただわけもなく」を歌ってました。とぼくは言った。