パーフェクト・ブルー

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田口ランディのノンフィクション、「パピヨン」は、彼女がチベットに着いて間もなく高山病にかかった、というくだりから始まる。
酸欠状態のため思考ができない。言葉が消えていく。なにを考えようとしてもとりとめがなくなる。しまいには考えることに疲れてしまい、考えることを放棄した。
無だった・・・・・。いかなる思考も浮かんでこない。
  中略
とにかく空気が薄いのでなんの考えも浮かばない。でも目と耳はクリアだった。とても気持ちがよかった。チベットの空は青い。青という色に街が抱かれている。私も抱かれている。青が世界を満たしている。この青は呼びかけてくる色だ。青が私を呼んでいる。どこか遠くから、じっと誰かが見ている。もちろんそれも言葉にしたのは後のこと。なにも浮かばない。ただ空が見ている。いや、これも後づけだ。「空が見ている」ということも思わない。言葉は消えていた。
  中略
もう、瞑想の状態に戻ることはできなかった。あの、三昧の状態は、一瞬で終わってしまったのだ。何度も努力したけれど同じ状態にはならなかった。たぶんあれは、高山病がもたらした奇跡だったんだろう。
これを読んで、ぼくもまったく同じ体験をしたことを思い出した。数年前の夏、ぼくは海底に落としたものを拾うために長時間潜り続けて酸欠状態に陥り、ひどい吐き気に襲われた。砂浜で休んでいると少し気分が良くなり、波打ち際をふらふら歩き出した。その時の空の青と海の青が、色というのではなく、強い意志としてぼくに直接語りかけてきてぼくを圧倒した。語りかけてきたがそれは言葉ではなかった。ランディさんが描いているのとまったく同じことが起こった。以来、ぼくの中で何かが大きく変ってしまったような気がする。
その日のことをブログに記しているのだけど、さっき読んでみたら「限りなく理想的なブルー」という題になっていた。あの青をもう一度体験したいとは思うのだけど、だからといって酸欠状態を再現しようとは思わないし。

明日は晴れらしいね

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金星はめったに晴れることがないから、どの家もコケにすっぽり覆われているんだ。もちろん、ぼくの家だってそうさ。だから、だれだって自分の家が何色だったかすぐに忘れてしまう。そこで年に数回、屋根や壁にへばりついたコケをコケカキ機という専用の器具で掻き落すんだが、これを怠けると、コケの重圧で家がつぶれることがある。信じられるかい? でも、実際、本当に大変なんだ。と、彼は言った。

三分咲き

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暖かい日が続いたせいで、駐車場の桃が一気に三分咲きとなった。缶ビールでも開けて花見と洒落込みたいところだが、あいにく雨が降っている。それにしてもいいね、ピンクの花は。とても色っぽい。

ひとりの部屋

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時々たずねられる。
ひとりで仕事をしていて退屈しませんか?
ぜんぜん、と、ぼくは答える。
今から10年前、脱サラして、さて何をしようか、と考えたとき、まず、
人に使われたくない。人を使いたくない。
と思った。
ええよ、ひとりは。気楽で。

おととい傘の中の二人

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おととい、雨の中を傘をさして撮った花が、今日は無残に散っていた。分かってはいたのだけど、なんともいえず、さみしかった。
きみは去り、残されるぼく。

某営業マン

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昼すぎ、某社の営業マンが集金に来た。
「なんだ、もう来たのか」
ぼくが眉をひそめると、営業マンはヘヘヘ、と頭をかきながら
「あ、そういえば、この前連れてきた会社の女の子が、マスターのことを、メッチャカッコイイ、って言ってましたよ」
と言った。
「え?ほんとに?」
ぼくはその女の子がどんな顔をしていたか必死に思い出そうとした。
「ほんとうですよ。ではまた」
営業マンはバッグにお金をしまうとさっさと帰っていった。

骨の記憶

店からの帰り道、いつものようにカーラジオのスイッチを入れたら、不思議な音のする楽器がバロック風の音楽を奏でていた。木管楽器らしいのだけど、今まで聞いたことのない音。聞いているうちに、これは動物の骨で作った楽器じゃないだろうか、と、ぼくは思いはじめた。聞けば聞くほど、そういう音に聞こえる。風が吹いた翌朝、海に行って波打ち際をぶらぶら歩いていると、流木に混じって、白く脱色した大きな頭骨が打ち上げられていることがある。肉が無いので、それがどんな生物のものなのか分からない。馬かもしれないし、海に棲む怪物のものかもしれない。ぼくはラジオから流れてくる音楽を聞きながら、そんな波打ち際の風景を思い浮かべていた。その、持ち主の知れない頭骨に穴を穿って楽器にすれば、きっとこんな音がするだろう。音楽が終わって、曲の紹介があった。曲名は、バッハのなんとかカンタータ。楽器は、オーボエ・ダカッチャ、だそうで、それが動物の骨で作ってあるかどうかは説明されなかった。

blossom

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ぼくは花に女性を重ねるから、霧がかかったような、ピントの合ってない、ぼけた写真を撮る。そうした佇まいがぼくの中にある花の真実に近い。女性は神秘的でミスティな存在だ。霧の向こうから手招きをするが、ぼくは永遠に近づくことはできない。美化する気などまったく無いのだけど、そのうちにある目に見えないものが、まさに見えない。そこでぼくは不思議に思う。女性は花を見て、花以外の何かを感じるのだろうか。まさか、男を感じることは無いと思うけど。