なぜかラーメン

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その日の朝、ぼくたちはまず北鎌倉駅で降り、円覚寺、明月院、建長寺、浄智寺、東慶寺とまわって再び電車に乗り、鎌倉駅に向かう予定だった。浄智寺を後にしたところで、おなかがすいてきた。するとそこになぜか小さなラーメン屋があった。ぼくはめったにラーメンを食べないが、その時、なぜか無性にラーメンが食べたくなった。鎌倉に来て最初に食べたのはラーメンだった。

灯台

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10年前、江ノ島に行った時に撮った植物園入り口と展望灯台。
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なかなかカッコいい。
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その時は温室もあった。
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こんなのも。
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今回その展望灯台はなくなっていて、新しい展望灯台が建っていた。これはこれでカッコいいのだけど。
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展望灯台横の郷土資料室に展示してあった旧展望灯台の模型。

良い疲れ

今日から仕事。朝早く起きて仕事場に向かった。今日は店で販売している15種、すべてのコーヒー豆を焼かなくてはならない。家を出て曲がりくねった坂を下りながら気づいた。いつもとハンドルのキレが違う。どうしたことか車が気持ちよくスイスイ走る。でも車の調子が急に良くなったわけではない。車は何も変わっていない。そう、変わったのはこのぼく。旅のおかげで、ぼくの体にたまっていた何か悪いものが消えたらしい。三日間の旅に出て、いつもより体を使ったし、気も遣った。実際、足や腰が今も痛い。かなり疲れている。でも、それは良い疲れのようだ。かわりにぼくの中にたまっていた悪い疲れが出て行った。

日曜と月曜と火曜は旅に出ています

某珈琲店は、あさって5日(日)から7日(火)までお休みです。
もし、日曜日に、ぼくに会いたくなっても会えません。
もし、月曜日に、ぼくに会いたくなっても会えません。
もし、火曜日に、ぼくに会いたくなっても会えません。
でも、水曜日に、ぼくに会いたくなったら、
某珈琲店に珈琲豆を買いにいらしてください。10時に開いてます。

東京の空気

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古い人間のせいか、どうでもいいことが気にかかる。
数日前、アマゾンにminiSDを1枚注文した。
翌々日、それは不必要に大きい箱で届く。
いつものとおりだ。
箱の中は空っぽといってもいい。そのほとんどが東京の空気。
1500円以上は送料無料なので、ぼくは小さな品物を小まめに注文する。まとめて注文してあげよう、という優しさはぼくにはない。
思いついたらボタンをポチッと押す。
そういうわけで、東京の空気の箱詰めが次々と届く。
なんだかやるせない。実にもったいない。

小さい月が消えた夕暮れ

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夕方、雲が晴れて月が顔を出した。
でも、いつもの月じゃなかった。どう見ても一つしか見えない。
いつもとなりに寄り添っている小さな月はどこに行ったのか。
写真に撮ってみたけれど、やはり一つしかない。
奇妙だ。小さい月はどこに行ったんだろう。

1時には寝るのだ

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朝起きるとまず朝顔の苗を植木鉢に移植した。空を厚い雲が流れている。いつ降りだしてもおかしくない空模様だ。今日は休みだけど、平日にはできない作業をいくつか割り当てていた。ぼくはコーヒーを飲んだりアイスクリームを食べたりしながら作業を片付けていった。洗濯物を外に干したので、作業の合間にベランダに出て空を眺めた。睡眠不足の日が続いている。今日こそは早く寝よう。せめて1時には。
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やつらは自我の壁に開いた穴からやってくる

1Q84、読み終わりました。
で、読んで思ったこと。
この物語にはほとんどの人が忘れてしまっている、あるいは気づかない(最も根源的な)真実が描かれているのだけど、それゆえに
「説明しなくてはわからないことは説明してもわからない」
ので、説明しなくてもわかる人には評価が高く、説明しなければわからない人には説明してもわからないので低い評価が下されそうです。それはデジタル放送はデジタル受信回路を持った受信機でないと見ることができないのと同じ理屈。
ところでこの作品は奇譚でもファンタジーでもないですね。むかし「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という対談の本がありましたが、1Q84は、その延長線上にあって、しかもこれを読むと春樹氏は河合氏が世を去った今もなお河合隼雄に会い続けていることに気付かされます。この作品を読んでいて、以前このブログに書いた「同じ方向を」という記事を思い出しました。