その日の朝、ぼくたちはまず北鎌倉駅で降り、円覚寺、明月院、建長寺、浄智寺、東慶寺とまわって再び電車に乗り、鎌倉駅に向かう予定だった。浄智寺を後にしたところで、おなかがすいてきた。するとそこになぜか小さなラーメン屋があった。ぼくはめったにラーメンを食べないが、その時、なぜか無性にラーメンが食べたくなった。鎌倉に来て最初に食べたのはラーメンだった。
灯台
良い疲れ
今日から仕事。朝早く起きて仕事場に向かった。今日は店で販売している15種、すべてのコーヒー豆を焼かなくてはならない。家を出て曲がりくねった坂を下りながら気づいた。いつもとハンドルのキレが違う。どうしたことか車が気持ちよくスイスイ走る。でも車の調子が急に良くなったわけではない。車は何も変わっていない。そう、変わったのはこのぼく。旅のおかげで、ぼくの体にたまっていた何か悪いものが消えたらしい。三日間の旅に出て、いつもより体を使ったし、気も遣った。実際、足や腰が今も痛い。かなり疲れている。でも、それは良い疲れのようだ。かわりにぼくの中にたまっていた悪い疲れが出て行った。
ささやかな旅
明日の朝、出発します。
すぐ帰ってくるんですけどね。
日曜と月曜と火曜は旅に出ています
某珈琲店は、あさって5日(日)から7日(火)までお休みです。
もし、日曜日に、ぼくに会いたくなっても会えません。
もし、月曜日に、ぼくに会いたくなっても会えません。
もし、火曜日に、ぼくに会いたくなっても会えません。
でも、水曜日に、ぼくに会いたくなったら、
某珈琲店に珈琲豆を買いにいらしてください。10時に開いてます。
東京の空気
夜のレプリカント
小さい月が消えた夕暮れ
1時には寝るのだ
やつらは自我の壁に開いた穴からやってくる
1Q84、読み終わりました。
で、読んで思ったこと。
この物語にはほとんどの人が忘れてしまっている、あるいは気づかない(最も根源的な)真実が描かれているのだけど、それゆえに
「説明しなくてはわからないことは説明してもわからない」
ので、説明しなくてもわかる人には評価が高く、説明しなければわからない人には説明してもわからないので低い評価が下されそうです。それはデジタル放送はデジタル受信回路を持った受信機でないと見ることができないのと同じ理屈。
ところでこの作品は奇譚でもファンタジーでもないですね。むかし「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という対談の本がありましたが、1Q84は、その延長線上にあって、しかもこれを読むと春樹氏は河合氏が世を去った今もなお河合隼雄に会い続けていることに気付かされます。この作品を読んでいて、以前このブログに書いた「同じ方向を」という記事を思い出しました。