昨日、ねこみちさんのブログを読んでたら、おもしろいことが書いてあった。宝彩有菜って方が書いた「気楽なさとり方」という本を紹介する記事だったんですが、その中で、ねこみちさんは「思考=自分ではない」というのがおもしろい、って書いてらっしゃる。これ、あのデカルトの「我思う、ゆえに我あり」と真っ向から対立してないですか? 実は、ぼくもそうじゃないかと思ってるんですよ。「思考=自分ではない、かも」って。それは、ちょっと前にブログに書いた「思考の暗闇」の問題と同じなんです。このことが気になりだしてから、ぼくの世界観は変わってしまった。もともと一般的でない世界観を持っていたんですが、また少し変化して、もっと変になった。でも、とてもおもしろいんです。うふ
mixiとぼく
mixi。いつはじめたのか、もう憶えてない。だいぶ前。
日記も書いてないし、何もしてない。
でも、毎日開いている。
開いて何をしてるかというと、mixiニュースを読んでいる。
だって、時々おもしろい記事があるんだもんね。
駄菓子屋のカメラ
カメラや車は、ぼくにとってオモチャなんですよね。オトコはいくら年をとっても、おもちゃで遊ぶ。子供と変わらない。そして、すぐ飽きる。新しいのを欲しがる。今ふと思ったんだけど、オンナはオモチャで遊ぶのかしら。指輪とかブランドのバッグとかはオモチャじゃないよね。化粧品や服も。ちっちゃな女の子は人形で遊ぶけど…大人になると、自分が人形になるのだろうか。ま、そんなことはどうでもいいや。今日はこういうことを書く気じゃなかったんです。ぼくが子供のころのオモチャの一つがカメラだった、という話。ぼくが最初に手にしたカメラは駄菓子屋に売っていたプラスチックのカメラ。これで何を撮っていたかというと、道端に転がっている犬のウ○コばかり撮っていた。ウ○コにもいろんな表情があるんですね。乾いたのやら液状のやら、色もいろいろ、内容物もいろいろ。意外と奥が深い。そのころはキンベ(金蝿)がまだたくさん飛び回っていて、それが多くたかっているウ○コがぼくは好きだった。とにかくたくさん撮った。今では道端に犬のウ○コを探しても、まず見つからない。キンベもいなくなった。さびしい時代になった。でも、今でもぼくの写真に対する姿勢はあまり変わっていないと思う。写真はぼくの個人的な遊びなんですね。だからなんだ、それがどうした、といわれても困るんですけど。
時間
今日からおしごと
10年前の朝
(2000年1月4日の日記の冒頭)
朝6時50分に家をでる。サラリーマン生活がまた始まったのだ。玄関のドアを開けると、まだ夜の明けきらない深い紺色の空に、冴えた三日月と明るい星がペアになって輝いている。なんだか今年を暗示しているような妙な感じがした。
プラネタリウムソフトで2000年1月4日6時50分を表示してみた。南東の空に細い三日月と金星が浮かんでいる。あれから10年。ぼくにとって今日は特別な日。
あの場所に出かけた。
10年前、ぼくは会社を辞めた。あの日、ぼくと家族は堤防に座って冬の海を見つめていた。だれも口をきかなかった。あの時の風景はぼくの記憶の中で止まったまま。
いつものハーブ園で昼食。タイムとコリアンダーをちぎってトマトリゾットに入れる。ぼくにとってハーブは魔法の薬。
ハーブ園の噴水の周りにはオキザリスが密生している。白やピンクに混じって、めずらしい紫も咲いている。
イッシー君に会いに行った。いつの間にかイッシー君は、イッンー君になっていた。
初ソフト。んめ~
指宿スカイラインを上り、展望台から海を眺める。硫黄島がはっきり見えた。
硫黄島
屋久島
家に帰り着き、真っ先にパーシーカラーを見に行った。
バーシーカラー
そしてだれもいなくなった
朝起きるとヨッパライ某はもういなかった。母を連れて地方に墓参りに出かけたのだ。娘もすぐに家を飛び出していった。友人と遊ぶために。続いて息子も車とともに消えた。そしてぼく一人が家に残った。だれもいない家はとても静かで平和だ。近所もひっそりしている。どこかで犬が吠え続けているが、いくら吠えてもだれも応えない。ぼくはアンプのスイッチを入れ、Led Zeppelin IV、そしてDoorsからいくつかの曲を選んでかけた。つぎに雨戸を閉め、壁のスクリーンを下ろし、プロジェクターのスイッチを入れた。ずいぶん前に録画したPink Floydの狂気を見る。やはりすごい作品だ。そのあと映画を見たり、ミュージックビデオをいくつか見ているうちに夕方になった。こうして正月二日目が終わった。