air

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たくさんの矢印が風に吹かれて好き勝手に回っている。
ぼくの行き先なんて、まったく無意味だと言いたげに。
そんな、ぼくの朝。
オーディオのスイッチを入れ、あの曲を探す。
スカボロー・フェア
歌詞の意味はさっぱり分からないけど。
でも、これを聞いてると、矢印が、遠い空の向こうを指す

岩のアーチ

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お客さんからお借りした「鹿児島県の歴史散歩」という本を読んでいたら気になる地名が出てきた。ネットで調べても分からず、家に帰って地名辞典で調べてみたけど、やはり分からなかった。辞典をケースに戻そうとして、ふと、そこに描かれた絵に目が留まった。諸国六十八景 薩摩坊津。今まで気に留めなかったのだけど、そこに坊津で見たことのないものが描かれている。巨大な岩のアーチ。こんなのが坊津にあるとは知らなかった。今度坊津に行ったら見てこなくちゃ

くもの糸

店の玄関に小さな水槽が置いてある。水槽には水草しか入れなかったが、いつの間にかメダカが泳ぎはじめた。しかも2匹。もちろんそれはタレスの説によるのではなく、水草にメダカの卵がついていたためだった。今朝、いつものようにメダカの様子を見に行くと、水槽のふちにハエトリグモが陣取り、じっと中を覗き込んでいた。見ると、水面を2mmほどのチビメダカがうろついている。まさかそれを狙っているのではあるまい、と思いつつ店の準備に戻った。開店の時間になったので玄関の照明を点けに行った。水槽を見ると、先ほどのクモが浮いていた。やれやれ、と指ですくうと、元気よく跳ねてどこかに消えた。それからしばらく後、お客さんが帰ったあと玄関に行くと、先ほどのクモがまた水槽のふちから中を覗き込んでいた。まさかまた飛び込む気じゃないだろうな、と思いつつ、店に戻った。数時間後、水槽を見に行くと、やはりヤツは浮いていた。ぼくはうんざりしてそれをすくい上げ、水槽から離れたところに逃がしてやった。

夜の回転音

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わが家の前は20年間、空き地だった。それが今年5月ころに分譲農園となり、そのいくつかが売れ、畑になった。空き地が畑になっただけのことで、ぼくの生活になんら影響はなかった。しかし最近、いままで聞いたことのない怪しい音が、夜ごと聞こえてくるようになった。カラカラカラカラ、と、なにか空っぽの物体が回転する音だ。なんだろうと思って見てみると、ペットボトルの風車が畑に突き立ててあり、それが風に吹かれて悲しげな音を立てているのだった。何なんだ。

存在の軽さ

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あなたは愛する相手を理解しているだろうか。
もしそれを確信していても、それは錯覚の可能性が高い。
それが男女間の愛であれば、なおさらのこと。
そして、もしあなたが男であれば、99%、勘違いを起こしている。
ぼくはこの本を読んで、その思いを強くした。
知らないほうが幸せなことは多い。
でもその幸せは偽物

夏にさよなら

楽しかった夏も、あっという間に過ぎた。明日から9月。
9月もまだまだ暑いけれど、もう夏じゃない。
明日の朝は新たな気分で目を覚まそう。
生まれ変わったように

遠い渚

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あの日に帰りたい。とは思わないけど、ぼくの中にいる少年が恋焦がれるように、いつまでも見つめていると、なんとかしてあげたくなる遠い日の渚

ツリーオブライフをみてきた

ツリーオブライフ、という映画を見てきた。テレンスマリックの作品だというので、これはぜひ映画館で見ておかねば、と思ったわけで。人気がないのか、10室ある劇場の中でも一番狭い小さな上映室があてがわれていた。実際、レイトショーのせいもあってか観客は10名に満たなかった。始まっていきなりヨブ記の一節が映し出され、語られる。見終わったあとでわかるのだけど、この一節が頭の隅になければ、作者がこの作品によって何を表現したいのか、理解しようとすればするほど分からなくなるように思われた。表現者のジレンマといえると思うけれど、鑑賞者が理解できないことがこの作品の一番大切なポイントになっている。「人間サイズの理解」が、この作品の重要なテーマになっているからだ。ヨブ記を読んだ方なら知っていると思うが、映画の冒頭で語られるヨブ記の一節のその少し前に、次のような言葉がある。神が最初にヨブに語られた言葉だ。
「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」
神の経綸は人間には理解できない。ヨブは神の前に正しい人であったが、正しいからといって、彼に罪がないのではない。ヨブにはそれが理解できなかった。「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と、十字架上でキリストは言われた。何をしているのか自分でわからない、それが人間の罪だ。いうまでもなく、それをあがなうためにキリストは十字架にかかった。その、人間には理解不可能な神の経綸を暗示することで人の罪を表そうとしたのが、この作品なのだと思う。ちなみに、いっしょに見に行ったヨッパライ某は途中で寝てしまいました。