子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいと頼むでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。
レイチェル・カーソン センス・オブ・ワンダー
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。意味深長だね。
もちろん、彼女はここで実感主義を唱えているわけではありません
右半球脳の空間認識実験

ある本の事を調べていたら、変な画像に出会ったので貼り付けてみました。もしあなたが右利きだったら、どちらかといえば下の顔の方が楽しそうに見えるんだそうです。
そーかなー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1290.html
なつかしい声
答えのない問い
星空を眺めていると自然に疑問が湧いてくる。なぜだろう。イヌやネコは、星空を見て不思議な気持ちになるのだろうか。ぼくはいつも知らない何者かに問いかけられている。でも答えることができない。いつかぼくが問うのをやめ、問いかけられることもなくなるとき、ぼくはすべてにとけてしまって消えていると思う
THE END
夏色の思い出
思い出だけでは生きていけない。でも思い出のない人生はさびしい。暑い夏。ぼくは汗をかきながら坂を上る。冷たい水。海に沈む夕日。喜びも悲しみも、ぼくが思い出の主人公
フィヨルドに一人
彼は今ごろホテルのバーでビールを飲んでいるかもしれない。
今日、彼は歩いて山を登り、眼下に広がる広大なフィヨルドを見渡したはず。
数ヶ月前、ぼくは彼とコーヒーを飲みながらつぶやいた。
いつか北欧に行きたいな。フィンランドかノルウェーに。
ふーん、北欧ですか。いいですね、と彼は言った
キュリオシティ
インディジョーンズ的休日その7

新しい靴の性能を試すべく旧伊作街道を峠に向かって歩き始めた。暑くなりそうなので、水筒を持っていくか迷ったのだが、めんどうだったので家を出る時に水をたくさん飲んで出た。しかし、歩き始めて2時間もしないうちにのどが渇いてきた。旧伊作街道は今ではほとんど人通りがない。歩いている人はまずいない。そんなところにコーラの自動販売機があるはずがない。

自動販売機はないが、山水が土手から流れ出している。両手ですくって口に入れると、驚くほど冷たい。透き通った味だった。

いつもは道をまっすぐ上って伊作峠に行くのだが、今回は途中で右に曲がってみた。どこに続いているのかわからないが、国境を越えてトラブルが発生する危険はなさそうだ。

秋は足早に近づいている。待ってくれ、といいたいが、聞いてくれるはずもない。

しばらく坂を上り、そして長い坂を下っていくと、前回の探検で通った道に出た。その道を進んでいくと、三重野という人里に出る。

黒い雲が立ち込めてきて、ついに雨が降り出した、道路に張り出した枝の下で雨が止むのを待ったが、なかなか止まず、びしょぬれになった。新しい靴も濡れてしまった

家に帰りつき、ソファで横になってたら、いつの間にか寝てしまった。夕食後、みんなで花火をした。夏も残り少ない
夏の頭は感じやすい
その昔、新潮文庫の広告に「インテリげんちゃんの夏やすみ」というのがあって、そのコピーのうまさに唸った記憶があります。その10年後に出た「夏の頭は感じやすい」というコピーも秀逸ですね。いずれも糸井重里氏の作品。きっと糸井さんは夏が大好きなんでしょう。夏への思い入れがコピーににじみ出てますから。ところで「夏の頭は感じやすい」というコピー、夏が嫌いな人には逆に思えるかもしれません。ぼくはまったく同感なのですけど。最近、お客さんからお借りして読み始めた本が2冊あるのですが、どちらも夏の頭向きの本だなー、と感じてます。タイムリーに貸してくださったお二人に感謝!





