5年後の今日

5年前の今日、ぼくはこんな事を書いていた。

ある日、ぼくの目の前からニンジンが消えた。
目の前にニンジンがないと、ぼくは走れない。
「オレのニンジンはどこに行った」
必死でぼくはニンジンを探しはじめた。10年くらい前の話だ。
でも、最近になって、ぼくは気づいた。
「ニンジンを探すことが、オレのニンジンかもしれない」
そう、「求めよ」がぼくのニンジンだったのだ。

 その数年後、ぼくはニンジンを見つけた。でもそれは見つけようとして見つかったのではなかった。それは海でおぼれかけ、もがいていたとき偶然、海の底に揺らめく小さな光を見つけた、そんな感じだった。そのとき、どこかに隠されていたスイッチが大きな音を立ててONになった。人生が人生として姿を現し、ぼくに問い始めたのがそのときだった。

時間旅行

140115_01 日差しが明るくなった、と感じる今日この頃。でも期待を裏切るように風は冷たい。トカゲとかヘビは変温動物だから、寒いと体が動かなくなる。ぼくも最近そうだ。寒いと体温が下がっていく。実際に測ったことはないけど、そんな気がする。日向ぼっこをしながらぼくは考えた。冬眠って、どんな感じだろう。夢を見るのだろうか。気持ちのいい明るい夢を見れるのなら、10年くらい冬眠してもいいな。目覚めた時、そこが肌に合わない世界だったら、追加で10年冬眠できるとたすかるな

キツネ君との出会い

昨日、某ポータルサイトに次のような記事があがっていた。記事の真偽は調べようもなかったけど、その内容は示唆に富むところがあった。
 ———– ここから ———–
2014年1月8日、中国のゆがんだ愛国主義教育が、純粋な子供の心をねじ曲げてしまったことを如実に示すエピソードを、中国人ユーザーが軍事関連ネット掲示板・米尓社区に投稿した。以下はその内容。

日本人男性と結婚した従姉が、夫と彼の親戚の男の子を連れて中国に里帰りした。男の子は俊夫という名の小学校1年生。見知らぬ国で言葉の通じない人々に囲まれて、とても緊張している様子だったが、一生懸命カタコトの中国語で私たちに挨拶し、深々とお辞儀をした。その姿がとても愛らしく、私たちはいっぺんで俊夫のことが大好きになった。
だが、その従姉の一番上の姉の子、小学3年生の鵬鵬(ポンポン)だけは違った。最初から敵意むき出しの顔で俊夫をにらみつけ、こぶしを振り上げると「打倒小日本(ちっぽけな日本をやっつけろ)!」と叫んだのだ。これには俊夫も周りの大人もビックリ。鵬鵬の父親が彼を叱ると、「だって、日本人は中国人の敵じゃないか!学校の先生もそう言ってたもん。パパたちは中国を愛してないんだ!」と言って泣き出した。そこで、「先生が言っているのは歴史だ。今は日本と仲良くしなきゃ。それに俊夫は私たちの大切なお客さんなんだから」と言い聞かせると、「じゃあ、パパやママはなぜ毎日、日本が中国の土地を奪ったから日本製品をボイコットするなんて言ってるんだよ?学校で見せられた教育アニメでも、日本帝国主義を打倒しろって言ってたよ!」と反論した。
幸いなことに、中国語の分からない俊夫に鵬鵬と父親の会話の中身を知られることはなかった。俊夫は本当にいい子で、自分でできることは自分で全部する。礼儀正しく、大人を敬い、食事の際は全員が箸をとり、従姉が日本語で「いただきます」と言ってから、自分の箸をとる。それに比べて、鵬鵬はどうだ。部屋は汚い。自分では何もしない。食事は当然のように自分が好きな料理を一人占めし、彼を溺愛する大人たちもわざわざ好物を取り分けてやる。
私たちは「鵬鵬が俊夫みたいだったらいいのに」と心から思ったものだ。そんな鵬鵬もだんだん俊夫に打ち解け、2人で遊ぶことも多くなった。お互いに日本語や中国を教え合っている姿を見て、「やっぱり、子供は子供同士だ」と安心した。
最後の晩、従姉とその夫は買い物に出かけていて、私たちはみんなでテレビを見ていた。そこへ鵬鵬が得意げな顔で俊夫を連れてきて「俊夫がみんなに言いたいことがあるって」と言った。俊夫は顔を赤くしながら恥ずかしそうにほほ笑んで、たどたどしい中国語でこう言った。
「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」
俊夫のこの言葉にその場の大人たちは全員凍りついた。鵬鵬の父親はすぐさま彼をトイレに引きずって行き、中から「パン!」と引っぱたく大きな音が聞こえた。真相はこうだ。鵬鵬は俊夫に「みんなが喜ぶ言葉がある」とだまして、あの言葉を覚えさせたのだ。
こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国観はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。(翻訳・編集/本郷)
 ———– ここまで ———–
ソースはこちら
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=81672&type=

これを読んで、なんだかいたたまれない気分になった。もちろん、鵬鵬君のことで。彼はどうして父親から引っぱたかれたのか、しばらくは分からないかもしれない。拙いにせよ彼の信じていた正義は最も信頼している人によって否定されたのだ…少なくとも鵬鵬君はそう感じただろう。
教育とはなんだろう。ぼくはこれを読んで、D・H・ロレンスの「蛇」という詩を思い出した。植島啓司さんのコラムに記載されているので以下にそれを記します。

D・H・ロレンス「蛇」
「一匹の蛇が 私の家の水のみ場へ来ていた ある暑い暑い日 あつさのために寝巻のままで 私はそこへ 水を飲みに行った」。しかし、私はそこにやってきていた蛇のために、水差しを持って、待たなければならなかった。かれが先客だったからだ。かれは「金褐色のやわらかな腹をひきずり」ゆっくりと水を飲んでいた。そのとき、「私のなかの(教育の)声が言った 男なら 棒をもって すぐになぐりつけろ 殺してしまうのだ」と。シチリア島では黒い蛇は無害だが、金褐色の蛇には毒がある。蛇は「神のように 見るともなくあたりを見まわして ゆっくりと頭をめぐらせ」ていた。私は蛇が好きだった。畏敬に近い感情を抱いていた。「かれが神秘の大地の暗い扉から 私の歓待を求めて出てきたことに なおさらの光栄を感じ」ていた。ところが、いまにも蛇が自分の住処に戻ろうとするそのときに、私はぶかっこうな丸太をひろいあげ、蛇に向って投げつけたのだった。それは当たらなかったものの、蛇は「ぶざまにのたうち いなずまのように身をくねらせて 黒い穴の中へ逃げさっていった」。ああ、いったいなんということをしてしまったのだろう! いまやすべては失われてしまったのである。「こうして私は 生命の王のひとりと 出会う機会を」永遠になくしてしまったのだった。もはやどんなことをしても、あの神秘的な自然の力と出会うことはないだろう。自分のなかのつまらないちっぽけな怖れの感情のせいで。
 ———– ここまで ———–
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/071203/index.html

教育の声。それはしっかり自分の中に染み付いて自分と同化し、自分で気づくこともない。だから容易に剥がし取ることはできない。剥がそうとすれば大きな痛みを伴うこともしばしば。というわけで、ぼくもこれでずいぶん苦労しています(笑) サンテグジュペリの星の王子さまに登場する大人たちは、だれもが心の目で見る力を失っています。彼らの目を見えなくしたのが、もし教育だとしたら残念ですね。本当に大切なものは目に見えない。とキツネ君は言ってました

2000円問題

140110_01 常連のお客さんがコーヒーの代金に見慣れないお札を差し出された。久しぶりに見る2000円札。お年玉用なのだという。きれいなお札だったので取っておくことにした。ところでこのお札、きれいなのはいいけれど、レジに専用トレーがない上に使い慣れてないこともあって、釣銭で必ず戸惑う。夕方いらした常連のTさんに、ほら、と言って見せると、なにそれ!と目を丸くされた。彼女も2000円札のことなど忘れてしまったようだ。このお札、釣りを間違えそうで怖いんだよね、とぼくが言ったのをきっかけに、それぞれの釣銭失敗談でしばし盛り上がった。お互い気をつけようね~もう年なんだから、とTさんは笑いながらコーヒーを携え、帰っていった。これで終わればよかったのだが、閉店後、レジを締めると3360円余っている。もしかするとだれかに釣銭を渡し忘れたのかもしれない。やれやれ。自己嫌悪に打ちひしがれながらレジのジャーナルを引きずり出し、問題のお客さんの特定を試みる。あった、釣3,360-と打たれた印字が。購入した商品を調べると…そのお客さんはTさんであることが判明した

New York

140108_01New Yorkで年を越した人の土産はハーシーズチョコとカレンダーだった。ぼくは自宅の風呂で入浴して年を越した