いつかはやらなくちゃ、と、ずぅーっと思っていたことを、ついに始めた。それは、20代前半から撮り続けてきていたビデオムービーのデジタイズ。書棚に山積みされたビデオテープ。うんざりするほどの量だ。ヒマなときに一本一本デジタル化していくしかない。始めるにあたって、デッキのヘッドやテープガイドをアルコールでクリーニングした。古いテープから順にデジタル化開始。モニターしていると、友人たちが次々に登場してくる。ああ、みんな若いな。ぼくも若い。見ているうちに切なくなってきた
十七夜
そーゆー問題にぶち当たった人の話
昨夜、村上春樹の短編集「回転木馬のデッドヒート」に収められている「プールサイド」を読み返してみました。20分もあれば読める短い物語です。
35歳になった春、主人公は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認する。そして人生の前半を振りかえる。
—- 彼は求め、求めたものの多くを手に入れた。努力もしたが、運もよかった。彼はやりがいのある仕事と高い年収と幸せな家庭と若い恋人と頑丈な体と緑色のMGとクラシックレコードのコレクションを持っていた。これ以上、何を求めればいいのか、彼にはわからなかった —-
そして今、彼はソファーに腰掛け、思う。何ひとつとして申しぶんはない。と。
—- しかし気がついたとき、彼は泣いていた。両方の目から熱い涙が次から次へとこぼれ落ちていた。涙は彼の頬をつたって下に落ち、ソファーのクッションにしみを作った。どうして自分が泣いているのか、彼には理解できなかった。泣く理由なんて何ひとつないはずだった —-
主人公が泣いた理由。それがこの物語の主題なのでしょう。おそらく宗教的なテーマとしての「渇き」のようなもの。さて、人生に折りかえし地点を設定し、人生をその前半と後半に分ける。これは河合隼雄の「対話する人間」に出てくる話とどこか似ています。以下抜粋
—- ユングは、「人生の後半」を非常に強調しました。人生を前半と後半とに分けて、前半の課題と後半の課題を分けて考えたらどうか、というのです。前半は、自分がこの世にしっかり生きていく、この社会の中に完全に受けいれられる、あるいは社会の中に貢献するということをやっていくのだけれども、次に非常に大事なことは、その自分は死ぬわけですから、今まで夢中に生きてきたけれども、自分はいったい何のために生きているのだろう、これからどうなるのだろう、いったいどこへ行くのか、といった問いかけに対して答える仕事が、われわれの人生の後半にあるのではないか、というのです。
中略
ユングは非常におもしろいことをいっています。自分のところに相談に来た人の三分の一ぐらいは、社会的に成功もしているし、能力もあるし、何もかもできる人だ、と。何が悩みかというと、じつは悩みがないようなところが悩みである。つまり、何もかもうまくいっているように見えながら、いったい自分のほんとうに生きる意味は何か、今なぜ生きているのか、そういう問題にぶち当たった人である、というのです —-
この、「そういう問題にぶち当たった人」という言い方がとてもいいですね。お気の毒様、みたいなニュアンスが感じられて。(僕だけがそう感じるのかもしれませんが)つまり、大方の人はそういう問題にぶち当たらない。そう、問題が見えないから。見えないものは、ないのと同じです。昨夜このブログに書いた記事「プールサイド」は、村上春樹の短編「プールサイド」を読んで、ふと浮かんだ情景を描写してみたものです。質素なグラス、というのが、その、大方の人には見えない問題。見えてしまった人は、その問題を必死に満たそうとするわけです
プールサイド
彼はしばらく僕を見つめていたが、やがて決心したのかテーブルに向き直るとグラスにワインを注ぎはじめた。グラスは4個。そのうちのひとつはほかのグラスに比べ飾り気がなく、かえって僕の目を引いた。彼は慣れた手つきで次々にグラスを満たしていった。そして4つ目のグラス、例の質素なグラスにワインを注ごうとして手元が狂い、グラスの横にこぼしてしまった。彼の手は震えていた。彼は気を取り直し、再び注ごうとしたが、赤い液体はグラスを避けて落ち、テーブルに広がった。彼はテーブルを離れ、背を伸ばし、息を整えるともう一度グラスに寄って瓶を傾けた。結果は同じだった。グラスを満たすことはおろか、濡らすこともできなかった。彼は泣いていた
夏のスイッチ
帰り道は恐かった
見えないジャングル
「そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ」これは当ブログでも何度か取り上げているスティーブ・ジョブズのあの有名なスピーチ。この意見に賛成する人は多いように思う。でも、せっかくのジョブズの意見も、知識として知っているだけなら記憶の無駄遣いでしかない。さて、ぼくは一般の人たちが踏み入ろうとしないジャングルの中を自分の心と直感を信じて、迷い、よろめきながらも前進している…つもりでいる。それが人生だと信じているから。自分の心と直感に従う勇気を持つのはいいことだと思う。しかし、もし肝心の直感が鈍かったら。また、直感とはなんなのか感覚として把握できてなかったら。それは動かないコンパスを頼りに冒険を試みるようなものだ。直感は放っておくと鈍る。具体的には、テレビ、スマホ、パソコンなどを遠ざけ、静かな時間を常にキープし、自分と対話する時間を持つことが大切だと思う。
スティーブ・ジョブズのスピーチ
https://sites.google.com/site/himazu/steve-jobs-speech
皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。