ぼくの中にある夜の景色には、暖かい色の電球の灯った小さな民家がみえる。どうしてそうなったのかというと、それはサンテグジュペリの物語にそういう夜の景色が出てきて、ぼくの脳裏に焼付いてしまったからだ。いや、もしかすると違う物語の風景だったかもしれない。でもそんなこと気にすることはない。ぼくの世界にいるサンテグジュペリはそういう夜の景色を描いたのだ。ぼくは今夜もそんな民家で、LED電球ではなく、ちゃんとフィラメントの煌く電球の下で酒を飲んでいる
無人島の一冊
ある本の中で開高健は、無人島に本を一冊持っていくなら何を持っていくか、という問いに「旧約聖書」と答えていた。ただしそれは純粋に文学的な理由からであって、私は無信仰者である、と断っていた。聖書ではなく旧約聖書と限定してるあたり、ああ、なるほどと思わされる。欧米では昔も今も、無人島に持っていく本といえば、そのトップに聖書があがるようだ。旧約に限ってないようだし、求められているのは文学的な魅力とは別の何かなのかもしれない。日本のオンライン書店が2012年に「無人島に持っていくならこの一冊」という企画で投稿を呼びかけたところ、1位 ONE PIECE、2位 聖書、3位 広辞苑、となったようだ。2位が聖書というのは意外だった。投稿者のコメントには、「極限状態に陥ったらきっと聖書が心の支えになるのでは?クリスチャンじゃないけど」なんて書いてあり、合点がいってなかなかおもしろい。ぼくはといえば、聖書と広辞苑はぜひとも持って行きたい、と思っている。聖書は別格として広辞苑は読んでもおもしろい。ランキングを眺めていて、11位に星の王子さまがランクインしているのに妙に共感を覚え、なんだかほっとした。星の王子さまはほとんど暗記しているので、特に持って行こうとは思わないけど
P.S.
ちょっと気になって、開高健の発言を調べてみたところ、文学的理由から、とは言ってなかった。以下、そのまま書きうつします。
… 現代語訳でない旧約聖書。欧文脈、和文脈、漢文脈の完璧な成果。ただし、私は無信仰者である。人間学として読むのである。すべてはここに言い尽くされている。
そして9月
トンボの飛んでいる空
ミンコフスキーな夕暮れ
海辺のレストラン
ぼくはめったに新聞を読まないのだけど、夕食後、どういうわけか部屋の隅に積み上げてある新聞を手に取った。それは昨日の新聞だった。一面に台風で無残に倒壊した家屋の写真があった。その建物に見覚えがあった。ドライブの途中、よく遊びに行く海辺のレストラン。先月も珈琲をご馳走になった。なんてことだ。信じられない
月明かりの下で
台風が来て去っていった。屋上のフェンスの向こう側に木の葉と木の枝を散らかしたまま。ぼくはそれを月明かりの下で片付ける。フェンスをまたぎ、ひさしの上にたまった木の葉の山をゴミ袋に入れていく。夜風が涼しい。昼間だと2階の屋根の縁を歩き回るのは恐ろしいが、夜だとよく見えないので平気。ジャンプすらできる。でも、足を踏み外したら、Long Goodbye