幸せになる勇気、って

160304_01 以前、当ブログで紹介した「嫌われる勇気」の続編。かなりおもしろいし、タメにもなる。「嫌われる勇気」でもそうだったけど、この「幸せになる勇気」は、聖書を読んだことのある人なら「善きサマリア人のたとえ」をすぐさま思い浮かべるだろうし、またコリント人への第一の手紙12~13でパウロが語った言葉は、そのままこの著書の中心課題である「共同体感覚」に重なるはずだ。この二つの著書はアドラー心理学を解りやすく展開したものだが、アドラー自身、ユダヤ教から改宗したクリスチャンなので、その教えが彼の心理学に反映していても不思議ではない。前作の「嫌われる勇気」で、これは宗教ではないか、との意見が相次いだらしく、この「幸せになる勇気」ではその冒頭部分で、少々ピント外れな弁明が展開されている。いずれにせよ、この二つの著書はその値札以上の価値がある良書だと思う

私はその時心のうちで、はじめてあなたを尊敬した

以下は夏目漱石の「こころ」からの抜粋。主人公に届いた、先生からの長い手紙の冒頭部分。これを読んで思うのは、ぼくの人生は、本当にぼくの人生と呼びうるものなのだろうか、ということ。真剣に向き合わないと、人生は逃げていくような気がしたのです

あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。

そのとき、ぼくは夜、外に星を描きに出る

Unnamed「それでもなお、ぼくは、やはり、なんというか、宗教がどうしても必要だと感じる。そのとき、ぼくは夜、外に星を描きに出る…」 キリスト教の伝道師を目指していたゴッホはこの「星月夜」という作品について、書簡にこう書いているそうだ。
今夜は星がきれいだ。先ほどまで夜空を眺めていたのだけど、そんな時の自分は不思議なくらい素直で静かだ。自分のことを好きになれないぼくだけど、無心に星空を見つめている自分は、自分でいうのもなんだけど、いいやつだと思う

ひなたぼっこ

風のない日曜日の午後、柔らかな日差しの下、駐車場横のイスに腰掛けて本を読んでいると、一台の車が駐車場に入ってきた。本を閉じ、急いで店に戻る。お客さまがコーヒーを手にして帰られるとまた駐車場に戻り、ひなたぼっこをしながら本を読む。今日はそれを繰り返していた。この程度の忙しさが、ぼくにはちょうどいい。でも、毎日がこうだと、たぶん生活できない

季節の花

160227_01 菜の花の季節がいつだったのか分からなくなった。真冬に南の方に出かけると、春を代表する黄色い花が、道路に沿って、ずっと咲いている。あのマラソンのせいなのかもしれない。古い記憶は映像で浮かんでくるのだけど、もしその背景にヒマワリが咲いていれば、あれは夏だったんだと思う。菜の花はちょっと切ない。お別れの季節に重なって咲いていたから

望遠その2

160226_02 昼過ぎ、店の屋上に上がるとスズメじゃない鳥がいた。ちょうど、望遠レンズを付けたカメラを手にしていたので撮ってみた160226_01 こういう時、望遠レンズは便利だ。いつも使っているレンズだと、こんなに大きく写せない。でも、鳥に興味がないので、大きく撮れても喜びは大きくなかった160226_04 塔は撮ってておもしろい160226_06 高圧線の鉄塔は、見てて飽きない160226_05 そういえば、鉄塔の写真をけっこう撮っている

望遠

160225_01 昨夜、きれいな月が出ていたので、久しぶりに望遠レンズを取り付けてみた。遠くの灯台の写真を撮りたくて購入したレンズだったのだけど、ほとんど使うことがない

チャンピオンベルト再び その5

昨夜遅く、屋上の防水層に入った亀裂から雨水が侵入し、トイレ横の納戸に置かれていた布団や道具類を直撃した。バケツと雑巾で応急措置をし、今朝になって布団や道具を退避させた。その中に今は使っていないステレオアンプがあった。それは棚の高い位置にあった。ぼくは寝ぼけマナコでそれをひっつかみ、引きずり出して抱えたものの、その信じられない重さによろめき、落としそうになりつつも、必死で持ちこたえた。それがよくなかったのである。こうしてぼくは再びチャンピオンベルトを腰に巻くことになった。160223_01ただでさえ憂うつな休み明けの朝はこのようにして始まった。気分のレベルを10段階で表すなら1.5~2、といったところ。今日一日を無事に乗り切れるか不安なレベル。しかし、どういうわけか今日は朝からおもしろいお客さんたちに恵まれ、みるみる気分がよくなった。そんな自分の単純さがいささか残念ではあるけれど、とにかくありがたかった。写真は今日最後のお客さんになった、バイク少年が乗ってきたちょっと珍しい自転車。バイク少年は今ドカチに乗っているそうだ