ウルマンの「青春」を初めて読んだのは20代半ばだったと思う。この詩をぼくに教えてくれた方は、この詩を大層お気に入りの様子だったけど、ぼくは一読してこの詩が嫌いになった。上から目線の押し付けがましさを感じたこともあるが、ぼくの知っている青春はそんな崇高なものではなかった。おととい、わが春、青春についてちょっぴりつぶやいたけど、ぼくの青春は楽しくも辛いものだった。若者特有の鈍さと不必要に鋭敏な感受性、そして根拠のない自尊心。そのバランスが病的に悪くて、日々悩みに悩んで頭が変になりそうだった。あの日々は花火のごとく楽しかったが、もう結構。おなか一杯、二度とごめんだ。今は春。地球の北半分は青い春、青春を迎えている。春。それは冬を経て生まれる。冬は死の季節だ。冷たく暗い死のあとにやってくるもの、それが春。大地は一度死んで春を迎える。彼は過去を思い出すことをしない。だから地上の春は、そのつど初心で新しい。ところで、今日久しぶりにウルマンの「青春」を読んだ。いい詩だと思う。でも、「青春」という題は、やはり違和感があった。原題の「YOUTH」のままでいいと思うのだけど
新井満さんの自由訳による「YOUTH」が読みやすかったので、以下に記しておきます
































