薪を割る男

ある本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
「男性の場合、失恋にもっとも効くのは、斧をもって、身体がくたくたになるまで薪を割ることだそうである」
なるほど、なんだか分かる気がする。ぜひ試してみたいものだ。でも、失恋しないことには試しようがない

あの日の君は

中学生の時に毎日欠かさずクラス担任に提出していた「生活の記録」を今に再現してみよう、という試みで始めたのがこのブログだった。だから何はともあれ、毎日書く、ということに重きを置いていたのだったが

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例えば2月10日。雪が降った日だ。こういう日こそ「記録」するべきなのに、何も書いてない。写真は撮っているのだが、記録してない。理由はわからない

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2月11日。同じく写真は撮っているが記録はない。この二日間、ぼくは何を考えていたのだろう。少し気になる

デジャビュ

昨夕、店じまいをしていると、この辺りでは見かけない、どこか未来風の服に身を包んだ若い女性が入ってきた。まだ大丈夫ですか? 推定身長172cmの彼女は言った。大丈夫ですよ。と、ぼくは応じた。彼女は深煎りの珈琲豆を二つ買い、勘定を済ますと、にっこり笑って、写真を撮ってもいいですか?と言った。かまわないですよ、というと、バッグから大きなレンズのついたキャノンを取り出し、軽いフットワークで店内を回り、シャッターを切った。ぼくはデジャビュを見てる気がした。ずいぶん前になるけど、これとそっくりなシーンがあった。ただ、それぞれの彼女が持つキャノンのシャッター音が違った。今のキャノンはとても静かだ

夜更けのミュウ その後

数日前の夜、屋上に上がり、星空を眺めようとイスに腰かけた。いつもと何かが違う。そう、ミュウの声がしない。ぼくはイスから立ち上がり、あたりを歩き回った。左のサンダルに重心をかけ、片足を上げてみた。何も聞こえない。左のサンダルの下で鳴いていたミュウはいなくなった。どこかに旅立ってしまった。ぼくはまた一人になった

在りし日のミュウの鳴き声↓

おやすみ

大人とは飽きた人のことだ。こうして文章を書いていると、そのことがよくわかる。つまり、白い画面に向かったはいいが、何も書く気にならない。すでに飽きてしまっているのだ。大人だからな。分かるかな。おやすみ

坂道

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晴れた日に山を登っていく。曲がりくねった細い道。ちょっと疲れて、道端で休憩。何気なく下界を見下ろすと、今まで歩いてきた道が遠く小さく見える。このブログも書き始めて10年になるけれど、たまに過去の記事を読むと、山の上から見下ろしているように見えておもしろい。高いところから見下ろしているように感じられるのは、今のぼくが、あの頃より少しは成長しているということかな

額縁の中の二人

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イヌは洗い過ぎると自分の匂いが分からなくなって、自分がイヌである事を忘れてしまうという。放っておくと、ぼくはぼくを忘れ、知らない自分になってしまう。大切な人との関係も朝露のように消えて跡形もない。時がいつの間にかぼくの匂いを洗い流してしまうからだ。ぼくが写真を撮るのは、時折それをポケットから取り出し、自分の匂いを思い出すため